今日は某大学に用事があって行ったんだけど、アニメ研究会のポスターに「君は1人じゃない…」と書いてあって、胸に沁みたよ。
対して上手くはない、されどオタクっぽいイラストに添えられた名コピーだよ。
私がアニオタだったら入っちゃうね。あのサークル。「ああ、もう私は1人じゃないんだ」って。
さて、今日は日本語の難しさについて考察したい。
上に書いた「君は1人じゃない・・・」の名コピーも、テニスサークルのポスターだったら興ざめ、いや、もっと言ったら、同じアニメ研究会でも、ポスターの絵が上手かっただけで興ざめだろう。
それぐらい言葉って難しいのだ。
さて、今日の本題、タメ口のバ仮説。
実は私は4月に異動する。今の職場に新しい先生が来るので引継ぎをしなければならない。
新しい先生は「同い年の2学年下」。医者の業界では、私の立場をを先輩という(他の業界でも一緒だよね)。しかもこれまで1回しか会ったことがない。つまり友だちではない。
その先生が、引継ぎの日程調整のやり取りで、ものすごくタメ口!なメールを送ってきたのだ。
多分同い年だからなんだと思うけど、それにしてもまだ1回しか会ったことないからさ、普通は敬語なのだ。
で、あんまりこんなこと書いていると、自分の人間の小ささが気恥ずかしくなってきて、彼のタメ口を受け入れなければと思うのだ。
例えばこうも考えられるではないか。
彼は私と親しくなろうとしている、既に親しいと思っている、若いと勘違いされている(もうすぐ32歳な私としては、これは嬉しい)、など。それはむしろ歓迎すべきことなのではないか、と。
となると結局、負のフィードバックがかけられない。彼のタメ口は受け入れられることで正の強化を受けるだろう。
タメ口のバ仮説とは、タメ口を発するものは正の強化を受けやすく、受け取るものは自分の人間の小ささを思い知り、それを乗り越えることでステップアップする、と。
えへ。
子孫を残すことが至上命題である生物としてのヒトにおける、ファッションの意義についてのバ仮説(笑)。
植物が虫を誘うために美しい花を付けるように
オスの熱帯魚がメスを誘うために美しい尾びれを持つように
クジャクが美しい羽を広げるように
私たちヒトは、身を飾る。
朝、通勤電車に乗り、周りを見渡す。どうやらヒトはメスが身を飾るようだ。
以下、職場最寄り駅につくまでに整理した、ファッションから推測される、ヒトのメスの分類である。
a)分かりやすい女性性をアピールする:男性との差異がより明瞭になるようなファッション。つまり露出が多かったり、過度に曲線を強調している。オスへのアピール性は高いが、露出や曲線を好むオスを引っ掛けること自体のリスクがある。
b)情報収集能力が高いことをアピールする:流行の最先端をキャッチしている群。ただし、流行の最先端をキャッチしている事実は、同様のアンテナを持つオスにしかアピールができない。また、エネルギーを消費するため、生まれつきエネルギーが高いヒト以外は、ファッション以外の生活に対して分配する量が減ってしまう。因みにここでいう”エネルギー”の中には金銭も含まれる。
c)”ふつう”であることをアピールする:a)やb)のリスクを回避するため、多数派を選択する群。リスクが少ないことが最大のベネフィット。この群には、ガーリッシュ群、ボーイッシュ群、カジュアル群、キャリア群、など、サブグループがたくさん存在するが、総合すると、非常に人口が高い。今年の最大派閥は、キャミソールにカーディガンか(と、ピーコが言ってた)。
d)何かにに所属することをアピールする:具体的には、高校生の制服など。高校に制服がなくても制服を模した服を身につけ、巧みに擬態しているヒトもいる。細かく観察すると、このd)群の中に、サブグループとしてa)、b)、c)、e)などが存在することが分かる。
e)ファッションには関心がないことをアピールする:この群には、積極群と消極群が存在する。積極群は先日書いた、女教師のファッションの記事参照。ちなみにオスの中には、メスのファッションに関心がない群、華美なファッションを好まない群も一定存在するため、e)群は脈々と子孫を反映させることができる。
以上簡単ではあるが、ヒトの、オスへのアピールとしてのメスのファッションについてのバ仮説報告した。
最後に、以前からずっと私が考えていたバ仮説もこの際報告しよう。
サーベルタイガーの牙、オオツノシカの角がよく例にあげられるが、進化に有利に働くと考えられて、どんどん長く大きくなっていった結果、その種を滅ぼしてしまう。
現代ファッションにも同様の例がある。
それがルーズソックス。
・・・さすがにそろそろ絶滅しそう。断末魔が聞こえる。
<業務連絡>
今日からしばらく旅行に出かけます。朝から出発するはずだったのに、夫は寝てるし私はブログアップしてるよ。どうなってんの!
日々の観察の中で、ふとある現象に気がつくことがある。
その現象が何度か続くと「法則」のように感じるが、その法則は単なる「印象」「主観」の域を超えない。
でも、その法則が成り立つ理由はなんだろうと思いをめぐらせて、仮設を立てるのはとても面白いのだ。
証明する努力を何もしていない仮説を、とりあえず「バ仮説」と呼ぶことにする。(もうちょっと洒落た名前が思いついたら変えるけれど)あえて説明する必要はないと思うが念のため、「バカみたいな仮説」でバ仮説である。
巧妙な説明に、信じる人がいるといけないから(笑)、バ仮説を書く時は必ず「注)これはバ仮説です」の一言をつけようと思う。
さて、今日は記念すべき第1回。
「女教師のファッション」
仕事柄学校の先生に会うことが多い。実は今日も大量に会ってきた。
少し前にふと気がついた。40~50台の女の先生のファッションは極端だ。
一方の極は、ものすごくダサい。
もう一方の極は、ぶっ飛んでる。
ものすごくダサいファッションの代表は、よれよれのポロシャツにジャージのズボン(学校外で!)、顔はもちろんスッピン。
ぶっ飛んでるファッションは、例えば民族衣装みたいな格好だったり、娘さんのようなバルーンスカートだったり。
な、何故だ・・・??
学校という職場は、男と女が同じ仕事をする。
今でこそ女性の社会進出は当たり前だが、彼女たちが教師になったころは、働く女性の先駆けだったはずだ。
男と同等、否、それ以上のものを求められてきたかもしれない。
他の社会では長所となり得る「女らしさ」が、職場では邪魔になったかもしれない。
「あんなちゃらちゃらした先生にはうちの子を預けられません」と言われたかもしれない。
「A先生、お茶入れて」と、同僚の男教師に言われ、腹がたったかもしれない。
そして女教師Aは、スカートを捨て、ルージュを捨て、外見を飾らなくなっていった。
一方女教師Bは、もちろん教師としての仕事を完璧にこなしてきた。
「私、こんなに教師らしくないけど、仕事は完璧よ!」
彼女は外見で陰口を叩くような人間は、実力でひねり潰してやろうと思った。外見を磨き、仕事を頑張り・・・。
元来エネルギーの高い彼女のファッションは、人には真似ができない方向へ・・・。
学校という特殊な環境ゆえ、女教師はA、Bの方向へ強化を受けやすい。
そして中間層の少ない、極端なファッションとなるのであった。
以上、女教師のファッションのバ仮説。
もちろん、立証されていません。