2週間居候していた後輩が帰り、夫は午前はサッカー、午後は友人の結婚式の二次会の打ち合わせに出かけたため、久しぶりに一人ぼっちで過ごしている。
とりあえず何か読もうと思って、本屋に行きウロウロするが、なかなか読みたい本が見つからない。
かなり長い時間ウロウロしたのち、今日のタイトルにあげた
「性別がない!」新井祥著 を発見。
半陰陽の漫画家が、私生活を面白おかしく4コマ漫画にしている。著者の友人や恋人はセクシャルマイノリティーの人が多く、その人たちの話も読んでいてとても楽しい。
実は有名ブログの「オカマだけどOLやってます」は、ほとんど毎日欠かさずチェックしているし(性同一性障害の方のブログ)、基本的に自分は、知らない世界を知りたいという”好奇心”から読み物を選んでいると思う。
私は今のところ、半陰陽の患者さんには会ったことがないし、様々なセクシャルマイノリティーの患者さんの診察もしたことがないし、はっきりセクシャルにマイノリティーだと知っている友人知人もいない。
もしセクシャルマイノリティーの患者さんとして診るとして、精神科医の前に現れるということは患者さんは何かを苦しんでいるわけだ。困ったことがなければ精神科医には用がないだろうから(戸籍を変えたりするために性同一性障害の診断などが必要であるといった”用事”があることを別にして)。
想像するに、患者さんの抱えている苦しみには
「マイノリティーであることの痛み」
というものがあるのではないだろうか。つまり人と違うことの痛み。今差別を受けてうるといった直接的な被害ではなく、過去の経験やその他内的に湧き出てくるもの。
セクシャルマイノリティーに限らず、ありのまま、そのままの自分でいることを前向きにとらえることは、いろんな診療場面で共通して患者さんに伝えたいことだ。
最後に。
一般市民としての私は、強すぎる好奇心で人を傷つけないようにすることが課題のひとつ。
本を書いている人にとっては、自己開示することが何かしらの意味を持っているのだろうけど、多くのマイノリティーの人たちは、好奇心にさらされること自体が辛いはずだろうから。
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