この間睡眠障害の本を読んでいたら、コラムに「過眠と過食のある冬の欝は、冬眠のなごり」というような記載があって、ものすごく和んだ。
ああそうか、患者さんは病気じゃなくて、冬眠の準備していたのね。
なんでもかんでも病的モデルで考えるんじゃなくて、幅広い健康のバリエーションの1つと考えたいのだよ、私は。
まあ、「現代に冬眠とかされても困るんです」というもっともな訴えも聞こえている訳ですが、「冬眠するつもりでゆっくりしようよ」と思っちゃうのだ。
一昨日、「トルソー」という言葉が思い出せなくて苦労した、結局さネットで検索用語に「人台」と入れたら「トルソー」という言葉も引っかかってきてスッキリした。
私が子どもの診察をする時には、おもちゃを使うことが多い。中でも、シルバニアンファミリーの登場率は高い。あのおもちゃにはいろんな小道具があって、それがまたセンスよく作られているもんだから、大人の私にとっても面白い。普通の家にはないようなものもたくさんある。だって少女の夢の家だからね。
子どもがステキなミニチュアを手にとって無邪気な笑顔で「これ何?」と聞いてきたら、「それは○○だよ」と教えてあげたいじゃないか!大人として。
数ヶ月前の私は、その首と腕と下半身がない人形のミニチュアを、カタカナ語で子どもに教えていた記憶は確かにあるのだ。
でも一昨日はどうしても思い出せなかった。
子どもにはなるべく正確に(だって修正ききにくいタイプの子が多いんだもの。患者さんには。)、をモットーにしている私は、その場では「分からない」と答え、子どもが帰ってから必死に記憶を搾り出そうとしたが、どうしても出てこない。なんだか無性に気になって、看護婦さんに聞いたら「マネキンかな」と言ったし、うちの母は「ボディ」と言っていた。
違う、それでも通じるかもしれないけど、私が思い出せない言葉はそれじゃない!
と思って、電子辞書でシソーラスやらを駆使して、日本語の「人台」という言葉にたどり着いた。初めて聞く言葉だ。
なんか、家畜人ヤプーみたいな響きだ。
この話にはなんのオチもないけど(落とさなきゃいけないなんて、私も大阪に毒されてきたなぁ)、まあ嬉しかったのだ。トルソーと分かって。
「人台」も「トルソー」も、もうきっと一生忘れない言葉になったけど、どうせだったらもっと実用的な英単語とか増やしたかったよ。
ああ、ほんとどうでもいい話だ!
さっきまで、TVでトップランナーを見てたんだけど、今日は写真家の本条直季さんがゲストだ。私は特に写真に詳しいとか、本条さんのファンだったりはしないんだけど、彼の発言と作品の関係がとても面白かったので記事にすることにした。
本条さんは、古いタイプのカメラで高いところから風景を撮って(風景の中に人がたくさんいたりもする)、風景の写真なのにジオラマに見えるという、すごい不思議な写真世界を作り出す。
現実なのに、作り物に見えるのだ。
作り物に見えるのに本物、というのは、魔法で閉じ込められた世界を見るようで、とても落ち着かない気持ちになる。
本条さんは、14歳のときにお母さんを亡くした。少年の本条さんは家にいたくないあまり、夜、街を歩いたり、自転車で走っていたという。そのとき、妙に現実感が薄れるような感覚を味わっていたというのだ。
もし、本条少年が私の診察室に現れていたら、「離人感+」と、カルテに書くだろう。
本条さんの脳の中で起きていたことにラベルを貼るとすれば、まあ、離人感+でいいのだけど、離人感を写真で表現すると、こんな風になるのだな、と思ったのだ。
トップランナーは、彼の作品にみょうちくりんなキャプションを付けていた。「たった一つしかない地球への愛」とか、そんなの。
私は、別に地球への愛は感じなかった。
現実を氷付けにしたような不安感や、不安だけじゃない、距離感からくる安心感もある。とにかく、何が現実で何が空想か分からなくなって、見る人が混乱するのだ。
あれは、離人感+を君にも味あわせてあげよう、ということなんじゃないの、と私は思った。
そこから何を汲み取るかは、あなた次第、みたいな。
それにしても、心の動きを全部医学モデルで考えようとすることの場からしさよ!
医学モデルは病気のモデル。
離人感+は病気でもなんでもない。作品作りのエネルギーなんだからねぇ。
後々、大変になると困るので、歯に衣着せてうすらぼんやりと書きます(笑)。
専門家がトンデモ本を書いちゃうことがある。
トンデモ本とまでは言わないけど、ああ、あなたがこれ書いちゃダメでしょ、世間への影響考えてよ!と思うことが多々ある。
それから、じっくり読むといいこと書いてあっても、じっくり読まないと勘違いされそうな内容の本もある。よっぽど関心のある人じゃなきゃ、医療関係の本なんてじっくり読まないんだから、つまりは8割ぐらいの人に勘違いされるということだ。
主観的な意見を、科学的に見えるように書くのが上手な人もいる。だいたい、小さい科学的根拠を大々的に宣伝して、後は主観に任せて書いてしまうのだ。
ああ、困った、困った。
今度トンデモ本著者と、急接近するかもしれない。
私は、専門家の端くれとして、ちゃんとした応答ができるだろうか。
それとも影で悪口言うくらいにしとこうか。
いい人だったらどうしよう・・・。
それが一番、やりにくいのだ!!
それはそれ、これはこれなんて、私にはできないから。
もうちょっと旅行の話を続けさせてくださいね。何せ久しぶりなんで。
超有名観光地のビクトリアの滝から、車で1時間ほど走るとボツワナとの国境があり、それを超えたらすぐチョベ国立公園だ。
チョベ国立公園では、午前中はザンベジ川をクルージング、午後は四駆にのってゲームドライブのツアーに参加した。チョベ国立公園は”ゾウの楽園”とガイドブックに書いてあった。
「とはいっても会えるかどうかわかんないんでしょ」
と疑っていたのだ。
最初に遠くにゾウを見つけたときは実に興奮した。
ツアー参加者の誰かが「エレファント!」と叫んで、え、どこどこまじまじ、と同じ方向を見つめると、黒い豆粒に大きな耳と長い鼻がついていた。早速双眼鏡を取り出し、黒い豆粒がまさしくゾウであることを発見。
ありがたやありがたや・・・。
ところが。
あ、あっちにもゾウがいる、あ、ゾウの群れだ、え、あれゾウの大群じゃないの?
ゾウはどんどんどんどん増えていくのだ。
河を渡るゾウ、泥遊びをするゾウ、円陣を組むゾウ(円陣じゃないけど、真ん中に弱ったゾウがいて、それを囲むようにメスゾウがたくさんいるのだ)、生まれたてのゾウ、少年のゾウ、怒って耳をパタパタさせながらパオーンと叫んでよだれをたらして走り回るゾウ(あれ、危なかったんじゃないの?!)
うじゃうじゃいるのだ。ゾウが。
さすがにあれだけいるとありがたみが薄れて、
「またゾウかよ、キリンだせキリン。」
とコッソリ思ってしまうのだ。
ゾウですよ。動物園で大人気のゾウですよ。『かわいそうなゾウ』読んで日本中が泣いたでしょ。「ゾウさんがも~っと好きです」のゾウでしょ。
それをあんた、鳩みたいな扱いして!
と、自分で自分に突っ込む。
なんとまあ、私は図々しい生き物なんだろうね。
ゾウの生態に詳しくなるほど、たくさん長い時間観察できました。観光の神様どうもありがとう!