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裏日記
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大学生の頃、図書館でふと手に取った本がすごく衝撃的な内容でした。
題を忘れてしまったので読み返せないことが残念ですが、美醜が性格形成に与える影響についての本でした。

美しく生まれた人は、小さいころから「かわいい、かわいい」と育てられるから、いい子に育ちやすく、心まできれいになってしまう、というような内容でした。

今読めば、統計の取り方やら実験の仕方に突っ込みも入れられると思いますが、当時は批判的読書の習慣がなかったので、生まれついての美醜が性格に影響を与えるとは、と驚いたものです。

それ以来でしょうか、私は美人の研究を続けております。

(いや、美男研究でもいいんですけど、美男は近づきにくいから研究しにくいんです。)

とりあえず、「この人がこの顔に生まれて来なかったら、この行動パターンはあっただろうか」なんて観察視点を持って人生を送っているだけなので、研究というほどでもないのですが、思えばもう20年もこの視点をもっているのですね、私。

いつか論文でも書きたいものです(笑)。

なんでこの記事を今日書いたかというと、最近とても美人で有名な先生と一緒に働く機会があったからなんです。

私も何度かお会いしたことはあったのですが、長時間一緒に過ごしたのが初めてで、物腰やお話の仕方もとても魅力的で、私自身ひきこまれました。
同僚の医師(女性だよ)が、おっ、と驚くほど魅力のとりこになっている姿を見て、私は研究テーマを思い出し、フィールドワークが始まりました。

この方の天真爛漫さ(50代の方です)や行動パターンは、小さなころから周囲に肯定的に接されてきたことにより学習されたのだろうか、天性の性格とどう配分されているのだろうか、と思ったするわけです。


ところで、うちの娘はすごく女の子らしくってぶりっこで、そういう風に育てたつもりはないから、「こりゃ生まれつきだな」って思っていたんですが、今日新たな仮説を持ちました。
私は美人研究を続けているし、もしかすると
「かわいい子に育てたい」
と思って行動していたのかもしれません。

よその親がどれくらい子どもに「かわいい」と言っているか分からないけど、我が家では確かにこの言葉をしょっちゅう口に出すし、娘が欲しがる「かわいいもの」に対して財布のひもはゆるいです。
生まれつきだけではなく、そう育てていたのかもしれないなぁ、と。

どう仕上がっていくのでしょうか。

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男の気持ちは分からない、いやいやそれを言うなら人の気持ちは分かんないよ~。

と、過度な一般化をしつつ、患者さんが男性であっても女性であっても同じように分からないし、同じように分かったふりをする的な診療をしておりましたが、やはり、男性の方が分からない幅が大きいなあ、と思い至る出来事がございました。

ある患者さんの性に纏わる悩みをお聞きし、私は冷静さを装いつつもびっくりしたため、後日それを男性の同僚に相談、でも、どうもこちらの思っていたアクションがなく、念のため他の同僚に話しても同様、結局3人の男性精神科医の反応が私の予想とは異なって、穏やかなものでした。

この時はどうもピンと来ず。

別の患者さんから長い手紙をいただき、その内容に自殺を匂わせる点があったため、同僚に相談したら、自殺の心配は少ないね(私の予想と同じ)、でも共感するなぁ、10代の性衝動は苦しいんだ、とのコメント。

ええ! これはそういう手紙だったの?
読みとれなかった…。

この二つのケースを通して感じたことは、私は男の体になったことがないから、男性としての普通の範囲が分からなかったり(最初の方の患者さんは、確かに普通ではなかったけど、私が思うほどはかけ離れていないというか、男性陣には想像の範囲なのかな、と思った)、10代の本能と理性のせめぎあいの苦しさとか、直感としてちっとも分からないんだよね。

逆に女性の患者さんがレイプ被害のPTSDで苦しんでたら、直感的にその苦しさの一部が共有できると思うのです。
被害に遭ってみないと分からない、とこれまた一般化することも可能だけど、やっぱり男の医者よりは共有できる量が多いのではないかと。


「そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれませんが、やっぱり、分かってるようで分かっていなかったことを実感する瞬間ってあるんですよ。

それが先週だった、というご報告です。
とても勉強になりました。


ここからは蛇足みたいなもんですが、男心は分からんわ、という上記の話を夫とした数日後、何気なく思い出して
「高校生の時、クラスメートの男子が、『スカートをはいているときに、パンツが直接サドルに当たってるのはイヤ』みたいなことを、言ってたんよね~」
と話したら、
「それをあえて言葉にした時の女子の様子を見たい、というのがその子の目的だろうね~」
とコメント。

変化球すぎて、全く気がつかなかったなぁ。
昨日、業界で有名なF大学のU先生からメールが来て、厚労科研の研究で医者の研修をしているんだけど、症例検討会のバイザーをやってみないか、という打診を受けました。

私は実にひっそりと臨床をしているので、U先生が自分を覚えていてくれたことや、バイザーをさせてみようと思ってくれたことが素直にうれしくて、でも、私で大丈夫なんかいな~、と悩みに悩んで、でも結局引き受けました。

ベテランではなく、あえて若手・中堅から選ぶんだそうです。きっとそれも含めた研究なんだろな。

みんなは日々の臨床以外に、学術的な事、教育的な事はどれくらいやっていますか?

私は、目の前のケースに全力投球していることについてはまあまあの自信がありますが、勉強が足りてるかとか、誰かを育てているか、と言われると、うーん、です。
学会で発表することはないし、病院で買っている「日本語」の雑誌はななめ
読みするくらいで…。

どうしようかな、どうしようかな、と思ったけど、やってみたいという気持ちが常に勝っていたので引き受けました。
U先生のお手伝いをしてみたいという気持ち、教育的な事もそろそろ携わらねければ、という気もち。

4月から仕事が増えるし、家族に必要以上の迷惑をかけたくない、というのが私の最優先だ~、やりたいことを全部できるわけではありません。

でも、今回は引き受けちゃいました。

「永遠の若手」(お笑い芸人みたい)も、そろそろ中堅らしくなりたいもんです。

昨日、病院で朝からバタバタ仕事していたら、とある施設職員の方からちょっと久しぶりに電話が入りました。
「何事!!(●●ちゃんに何か起きたか!?)」と思って電話を取ったら、講演依頼でした。

ほっとして思わず引き受けてしまった…。

実は子どもができる前から、色々考えるところあり(簡単に言うと不安になったんだけど)、講演ものはほとんど引き受けなくなっていました。

今回は内容が「性教育についての養護施設職員研修」で、専門ではないし、このネタで講演するのは初めてです。よくも引き受けたもんだ、私。

でも興味がある分野なのです。

私は子どもの入所施設の担当医をしていたことがあるのと、その中で治療行為の一環として性教育の担当をしたこと、そのとっかかりとして本を読んだり講演を聞きに行ったこと、実践してみて難しさに直面したことなど、人に話したいネタはあるのです。

各種ネタのうち、今日ここで取り上げたいのは、性とは多様なモノ、ということです。

例えば以前紹介した少数民族の図鑑にも書いてあったけど、結婚に関しては文化圏によって一夫一妻、一夫多妻、多夫多妻、多夫一妻なんてのもありますし、婚前の性交渉当たり前のところから、下手すると殺されちゃうくらい厳しいところもあるし、カソリックみたいに、子作り以外の理由で性交渉しちゃいけないって教えてる宗教もあります。
時代によって考え方が様変わりする場合もあるし(日本とか)、とにかく、性のありようなんて、何が普通なんて決められない、多様多彩なもんなんですよね。

かつ、個人個人にとってはすごく重大なことだから、自分と違う価値観の人を受け入れにくかったりします。

例えば潔癖な人にとって、おおらかな考え方は耐え難かったり。

施設職員が、子どものセックスを、生理的に受け付けなくなることは大いにありえます。
その職員は「ダメ」とか「お堅い」とか、そういう単純な切り捨てはできないのです。
子どものことをふしだらと言っちゃいけないのと同じくらいいけないんじゃないかな。

じゃあ、どうしたらいいんでしょう。
個人は自分の中に湧きおこってきた陰性感情に向かい合い、同定する作業は必要で、そうすることで生理的な反応は少し治まるかもしれないし、それをスタッフ間で共有し、誰かに助けてもらうことも必要だし、子どもを傷つけないような善後策を考えなくちゃいけない。
もしかすると、「個人的な事情で、性の話は苦手なんだ。ごめんね。」と子どもに謝ることも「アリ」かもしれないです。


自分もある文化に所属していることを知ったうえで、目の前にいる子どもの体と心を守るために、その子の幸せ度をちょっとでもアップさせるために、今何ができるかを考える、

私の考える性教育ってそういうもんです。
仕事が立て込んでいます。

仕事上、いつも同じように過ごせるとは思いません。
患者さんが調子を崩すこともあるし、それが続くこともあるわけです。

ここ1カ月の私、常ならざることが立て続けに起き、毎回昼ご飯を食べ損ね、必死で目の前の大ごとを乗り切り、あわてて電車に飛び乗って、遅れ気味で娘のお迎えをしています。

仕事の休みの日は、前日に会った出来事の心配をして過ごすため、メンタル的に調子が崩れてきました。

私は少し強迫的なところがあり、例えば今も鍵かけとかガスの火とかの確認は「多め」だし、1人暮らしを始めた大学生のころは、心配で家を出るのに時間がかかったり、引き返したこともありました。

患者さんの身にめったに起きない致死的な副作用が起きていないかとか、そういう考えが頭に浮かんできて、それを考えすぎたらリスクのあること(≒たいていの治療?)はできないんだけど、そのせいで胸に穴があいたような不安な気持ちになります。

医者の仕事は、治療行為のリスクとベネフィットを常に秤にかけて行なわれるので、リスクがゼロになることはないですよね。
だから心がゼロを願えば不安は尽きないわけで、その時最善と思われる判断をする、後から間違いに気づけば修正をする、そこまでしたら流れに身を任せる、という割り切りをしなければならない。

割り切った後は気持ちを切り替えないと、本格的に調子を崩しちゃう。

強迫や不安があるから慎重になるしミスにも気がつくのだけど、過ぎれば毒になる、本当にバランスを取るのって難しいです。

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