裏日記
とうとうO先生がお亡くなりになってしまいました。
私は一度お見舞いに行ったきりで、その後ハラハラしながら日々を過ごしていました。
私より後にお見舞いに行った同僚が、「ずいぶん苦しそうにされていた」と話すのを聞いてから、これ以上自分なんかが貴重な時間を割いていただく訳にはいかないと、もう一度お見舞いに行くことはできませんでした。
月曜日にお亡くなりになったと、火曜日出勤時に訃報を聞きました。
前回のブログをアップしてからお亡くなりになるまでのこの日々で、一旦諦めた本の出版を、R病院の先生方の励ましと応援を受け、なんと2冊も本を書き上げておられたと聞きました。原稿に再び向かわれてから、元気が出たとか、書き終わってからお亡くなりになるこの生き様、かっこいいとしか言いようがありません。
O先生ともう会えないことが寂しく、もっといろんなお話をお伺いしたかった、専門外と逃げずに勉強会にも出れば良かった、と悔やんでばかりです。
グーグルで名前を検索しては、色んな記事、例えば書評とか、インタビューとか、はたまた数年前に患者さんが書いたブログとか、糾弾記事とか読みながら、寂しいなあ、と思う私です。
私よりもっと近しい人は、寂しいというあるいみ余裕のある感情がまだ沸き立たず、呆然としたり、解離して日常生活を送っているのかもしれません。
私はとにかく寂しい。想像していたよりずっと寂しく、1人でいる時間は思い出を反芻したりしています。
私は一度お見舞いに行ったきりで、その後ハラハラしながら日々を過ごしていました。
私より後にお見舞いに行った同僚が、「ずいぶん苦しそうにされていた」と話すのを聞いてから、これ以上自分なんかが貴重な時間を割いていただく訳にはいかないと、もう一度お見舞いに行くことはできませんでした。
月曜日にお亡くなりになったと、火曜日出勤時に訃報を聞きました。
前回のブログをアップしてからお亡くなりになるまでのこの日々で、一旦諦めた本の出版を、R病院の先生方の励ましと応援を受け、なんと2冊も本を書き上げておられたと聞きました。原稿に再び向かわれてから、元気が出たとか、書き終わってからお亡くなりになるこの生き様、かっこいいとしか言いようがありません。
O先生ともう会えないことが寂しく、もっといろんなお話をお伺いしたかった、専門外と逃げずに勉強会にも出れば良かった、と悔やんでばかりです。
グーグルで名前を検索しては、色んな記事、例えば書評とか、インタビューとか、はたまた数年前に患者さんが書いたブログとか、糾弾記事とか読みながら、寂しいなあ、と思う私です。
私よりもっと近しい人は、寂しいというあるいみ余裕のある感情がまだ沸き立たず、呆然としたり、解離して日常生活を送っているのかもしれません。
私はとにかく寂しい。想像していたよりずっと寂しく、1人でいる時間は思い出を反芻したりしています。
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うちの病院の元院長先生のがんが再発しました。
がんになったときは誰にも連絡されなかったのですが、再発した今回は、もう残された時間がないことを覚悟され、親しい人にだけ連絡をされたそうです。
私は親しくはないので、師匠から教えてもらいました。
ほんの数年部下だっただけですから、でもすごくファンなので、ご迷惑承知で見舞いに行ってきました。
ファンという言葉がぴったりです。
一人で行く勇気がなく、先輩と同僚に声をかけ、3人で行ってきました。
耳鼻科系のがんなので、気管切開しており、かなりやせていました。でも私が覚悟していたよりもお元気そうで、30分くらいお話しできました。
仕事でやりのこしたことは何もないというお言葉、さすが、と思いました。
人生でやり残したことが2つ、1つは本をもう1冊書くこと、もう1つは笑っちゃうようなことでした。
最近先生が出された本に、サインをして頂きました。
ほんとに、ここ数年で1番の刺激的な本で、だまっていられなくて何人もの精神科医に感想を求めたほどです。サイン本、宝物にします。
先生が間違えてはいけないし、と私の名前の見本を書くようにおっしゃったので、「○○ちゃんへ」と、ファーストネームにチャン付けにしちゃいました。
ファンですから。
寂しいという言葉がぴったりです。
寂しいなあ。
がんになったときは誰にも連絡されなかったのですが、再発した今回は、もう残された時間がないことを覚悟され、親しい人にだけ連絡をされたそうです。
私は親しくはないので、師匠から教えてもらいました。
ほんの数年部下だっただけですから、でもすごくファンなので、ご迷惑承知で見舞いに行ってきました。
ファンという言葉がぴったりです。
一人で行く勇気がなく、先輩と同僚に声をかけ、3人で行ってきました。
耳鼻科系のがんなので、気管切開しており、かなりやせていました。でも私が覚悟していたよりもお元気そうで、30分くらいお話しできました。
仕事でやりのこしたことは何もないというお言葉、さすが、と思いました。
人生でやり残したことが2つ、1つは本をもう1冊書くこと、もう1つは笑っちゃうようなことでした。
最近先生が出された本に、サインをして頂きました。
ほんとに、ここ数年で1番の刺激的な本で、だまっていられなくて何人もの精神科医に感想を求めたほどです。サイン本、宝物にします。
先生が間違えてはいけないし、と私の名前の見本を書くようにおっしゃったので、「○○ちゃんへ」と、ファーストネームにチャン付けにしちゃいました。
ファンですから。
寂しいという言葉がぴったりです。
寂しいなあ。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
昨年は私たち家族にとっては平穏な一年でした。
今年も同じように過ごせるといいのですが、例え大きな波が来ても、ふわりと乗り越えたいものです。
本日は年始にピッタリな話題でお送りしたいと思います。
実は私の父は自分の母親と連絡を絶っている状態が10年以上続いています。
極力「優先順位を立てながら」「シンプル」に生きて行くことを目指していた私ですから、自然と父の親族とは関係が遠のいてしまいました。
ご存知の方も多いかもしれませんが、私といとこ(祖母と同居している父の妹の子、漢字にすると従姉だけど、姉と言う字はしっくりこないなぁ…)は大学の同級生なんです。
しかし特別連絡を取り合ってもいないので、祖母の情報源はいとこと親しい元ルームメートのKさんです。
祖母はもう相当な年ですが東京に行けるほど元気で、先日Kさんが祖母に会う機会がありました。その時
「nyamuちゃんは元気?子ども生まれたの?」
と泣いていたそうです。
90すぎた祖母が泣いていたと聞くと、胸が痛みます。
親子のことは親子にしか分からないですが、私の分析としては、
・祖母は父を溺愛している。複合的な理由でそれがひっくり返ったような表現をする。父に対する愛情の反動で、母(嫁)を憎んでいる。
・父は祖母に対して両価的。長い葛藤を経て、祖母を忘れることにした。父は論理的だし、意志も固いので、本人の中では決着がついてしまった。決着後、心が楽になった。
と言う感じ。父の2人の妹と嫁である母、そして20年前に亡くなった祖父がこの親子の関係を複雑化させていると思います。
(祖父のことだけ補足しておくと、祖母は祖父の悪口をよく言っていたらしいし、祖父への失望を父への溺愛に転化させていたみたい)
私は父を大事にしているし、私の源家族は、父の発言権が強いので、父が白と言うなら白、黒と言うなら黒なんだろう、というのが今までのスタンスでしたが、なんとなく私も年をとって考えが変化してきて、
・父だけ考えることを放棄(卒業?)して楽になっているに私(や母や姉)だけ考え続けているのはフェアじゃない気がする
・父を通しての祖母と私の関係と、祖母と私と直接の関係はまた別
と思うようになりました。
と言う訳で、Kさんから入る情報などは、私で止めたりせずに父に伝え、時には自分の意見も伝えることにしました。
「ばあちゃんも歳なんだし、冥土の土産をあげるラストチャンスだし、私とチャムをだしにして、短い滞在時短でさ、わーっと盛り上げてさーっと引きあげればいいんちゃうか。」
というのが実際伝えた内容であります。
しかし父はニコニコした表情で、
「墓前で泣くからいいの。」
と答えていました。
墓前で泣く覚悟で腹をくくっているならば、もう何もできることはないのかな、という感じです。
ただ、父は私と考え方の似たところがあるので、私からの働きかけは始まったばかりですし、まだチャンスはあるかもしれません。
そして、父との再会を果たすことに比べると、ずいぶん小さな冥土の土産にはなりますが、私は私でできることはあるかとも思い、近々、自分の大学卒業後の人生を書きつづった手紙と、夫や娘の写真を送ろうかなと思っています。
せっかくなので、映画監督が映画を撮るように、芸コンの脚本を書いた時のごとく、練りに練った内容にしようと思います。
そう思うと私自身は意欲が高まってきました。
手紙の締めくくりに、父のことを短く触れようかと思います。元気で世界中を旅してまわり、この間はとうとうヒマラヤに登った、と書こうかと。
そして父がうちの娘を抱いた写真を混ぜとこうかと。
今年もよろしくお願いいたします。
昨年は私たち家族にとっては平穏な一年でした。
今年も同じように過ごせるといいのですが、例え大きな波が来ても、ふわりと乗り越えたいものです。
本日は年始にピッタリな話題でお送りしたいと思います。
実は私の父は自分の母親と連絡を絶っている状態が10年以上続いています。
極力「優先順位を立てながら」「シンプル」に生きて行くことを目指していた私ですから、自然と父の親族とは関係が遠のいてしまいました。
ご存知の方も多いかもしれませんが、私といとこ(祖母と同居している父の妹の子、漢字にすると従姉だけど、姉と言う字はしっくりこないなぁ…)は大学の同級生なんです。
しかし特別連絡を取り合ってもいないので、祖母の情報源はいとこと親しい元ルームメートのKさんです。
祖母はもう相当な年ですが東京に行けるほど元気で、先日Kさんが祖母に会う機会がありました。その時
「nyamuちゃんは元気?子ども生まれたの?」
と泣いていたそうです。
90すぎた祖母が泣いていたと聞くと、胸が痛みます。
親子のことは親子にしか分からないですが、私の分析としては、
・祖母は父を溺愛している。複合的な理由でそれがひっくり返ったような表現をする。父に対する愛情の反動で、母(嫁)を憎んでいる。
・父は祖母に対して両価的。長い葛藤を経て、祖母を忘れることにした。父は論理的だし、意志も固いので、本人の中では決着がついてしまった。決着後、心が楽になった。
と言う感じ。父の2人の妹と嫁である母、そして20年前に亡くなった祖父がこの親子の関係を複雑化させていると思います。
(祖父のことだけ補足しておくと、祖母は祖父の悪口をよく言っていたらしいし、祖父への失望を父への溺愛に転化させていたみたい)
私は父を大事にしているし、私の源家族は、父の発言権が強いので、父が白と言うなら白、黒と言うなら黒なんだろう、というのが今までのスタンスでしたが、なんとなく私も年をとって考えが変化してきて、
・父だけ考えることを放棄(卒業?)して楽になっているに私(や母や姉)だけ考え続けているのはフェアじゃない気がする
・父を通しての祖母と私の関係と、祖母と私と直接の関係はまた別
と思うようになりました。
と言う訳で、Kさんから入る情報などは、私で止めたりせずに父に伝え、時には自分の意見も伝えることにしました。
「ばあちゃんも歳なんだし、冥土の土産をあげるラストチャンスだし、私とチャムをだしにして、短い滞在時短でさ、わーっと盛り上げてさーっと引きあげればいいんちゃうか。」
というのが実際伝えた内容であります。
しかし父はニコニコした表情で、
「墓前で泣くからいいの。」
と答えていました。
墓前で泣く覚悟で腹をくくっているならば、もう何もできることはないのかな、という感じです。
ただ、父は私と考え方の似たところがあるので、私からの働きかけは始まったばかりですし、まだチャンスはあるかもしれません。
そして、父との再会を果たすことに比べると、ずいぶん小さな冥土の土産にはなりますが、私は私でできることはあるかとも思い、近々、自分の大学卒業後の人生を書きつづった手紙と、夫や娘の写真を送ろうかなと思っています。
せっかくなので、映画監督が映画を撮るように、芸コンの脚本を書いた時のごとく、練りに練った内容にしようと思います。
そう思うと私自身は意欲が高まってきました。
手紙の締めくくりに、父のことを短く触れようかと思います。元気で世界中を旅してまわり、この間はとうとうヒマラヤに登った、と書こうかと。
そして父がうちの娘を抱いた写真を混ぜとこうかと。
12月はイベントが多く、すでに3回もベビーシッターさんに娘を預けて出かけてしまいました。
昨日同僚から、R病院の「神経内科と精神科を迷う研修医(ありがち)を囲い込む会」のお誘いを受け、楽しそうなので参加したかったけど、良く考えたら年末のベビーシッターの申し込み受付が終了していました。
出かけすぎで娘に悪いなぁ、と思っていたところなので、すっと気持ちが楽になりました。
我慢しすぎるのでも、我慢させすぎるのでもない、私たち親子のベストバランスを探り中であります。
ちなみに今晩は、シッターさんに預けて勉強会に参加します。
4月から平日の仕事が忙しくなるので、土日の用事は当面控えようと考えており、年度内はなるべく参加しようという計画です。
ほんと、最近の私って計画的だわ~。別人だわ~。
昨日同僚から、R病院の「神経内科と精神科を迷う研修医(ありがち)を囲い込む会」のお誘いを受け、楽しそうなので参加したかったけど、良く考えたら年末のベビーシッターの申し込み受付が終了していました。
出かけすぎで娘に悪いなぁ、と思っていたところなので、すっと気持ちが楽になりました。
我慢しすぎるのでも、我慢させすぎるのでもない、私たち親子のベストバランスを探り中であります。
ちなみに今晩は、シッターさんに預けて勉強会に参加します。
4月から平日の仕事が忙しくなるので、土日の用事は当面控えようと考えており、年度内はなるべく参加しようという計画です。
ほんと、最近の私って計画的だわ~。別人だわ~。
23年4月11日
我が家に頭足人出現。
なんとはじめからスカートをはいている!

殴り書きでスタートした娘の絵は、段々成長してきました。
ただの殴り書き→ぐるぐる渦巻きやら短い棒やら塗りつぶしやらで何かを描いているつもり→○が書けるように→○の中に目鼻口をかけるように(先月)→目鼻口に引き続き、耳やほっぺ、髪の毛を描くように→とうとう体がくっついた
の「体がくっついた」日が11日だったという訳です。
体、と言っても、
「むむたんスカート履いているの」
と、いきなりスカートを描いたんですよ。そしてその次にママがスカートをはいている絵を描いてくれました。
驚きました。
思ったより早いペースで進化していることもそうですが、次は足か手を描くもんだと思っていたので。
頭足人は万国共通、裸んぼと聞いていたので。
(机上の知識ですが)
・・・あなた、そんなにスカートが好きなんですか?
それからこれもびっくりしたのですが、先月初めて○の中に目鼻を描き始めたころ、娘は上下逆さに描いていたんです。目の上に鼻、鼻の上に口。
ひっくり返したら正しいお顔になっておる。
あれ?と思って、こちらがうさぎやう―タンなど、天地が分かりやすいキャラの顔型を描き、その中にパーツを書きこむように指示すると、ちゃんと所定の位置に書き込めるのです。
不思議だ。
おそらく、私と向い合せになって絵を描く機会が多かったので、私が描く顔の絵を見た通りに書いていたので、上下逆さに書く方が、やりやすかったんだと思います。
彼女にとって、絵は実物を見たままに描く描くのではなく、誰か(私や友達や先生)が描いた絵、つまり記号化された絵を再現するものなのでしょうか?
(今後どうなっていくのかな、と思っている間に、半月ぐらいの間で普通の書き方に統一されていました。)
だからスカートも、もしかすると既に記号化されたものを再現したのかも分かりません。
実物を見たままに描くとどうなるかは、新しい題材をこちらがモデルを見せる前に描かせて見せたら分かると思うのですが。
わが子で実験しちゃだめ!
でも好奇心に負けそう。
我が家に頭足人出現。
なんとはじめからスカートをはいている!
殴り書きでスタートした娘の絵は、段々成長してきました。
ただの殴り書き→ぐるぐる渦巻きやら短い棒やら塗りつぶしやらで何かを描いているつもり→○が書けるように→○の中に目鼻口をかけるように(先月)→目鼻口に引き続き、耳やほっぺ、髪の毛を描くように→とうとう体がくっついた
の「体がくっついた」日が11日だったという訳です。
体、と言っても、
「むむたんスカート履いているの」
と、いきなりスカートを描いたんですよ。そしてその次にママがスカートをはいている絵を描いてくれました。
驚きました。
思ったより早いペースで進化していることもそうですが、次は足か手を描くもんだと思っていたので。
頭足人は万国共通、裸んぼと聞いていたので。
(机上の知識ですが)
・・・あなた、そんなにスカートが好きなんですか?
それからこれもびっくりしたのですが、先月初めて○の中に目鼻を描き始めたころ、娘は上下逆さに描いていたんです。目の上に鼻、鼻の上に口。
ひっくり返したら正しいお顔になっておる。
あれ?と思って、こちらがうさぎやう―タンなど、天地が分かりやすいキャラの顔型を描き、その中にパーツを書きこむように指示すると、ちゃんと所定の位置に書き込めるのです。
不思議だ。
おそらく、私と向い合せになって絵を描く機会が多かったので、私が描く顔の絵を見た通りに書いていたので、上下逆さに書く方が、やりやすかったんだと思います。
彼女にとって、絵は実物を見たままに描く描くのではなく、誰か(私や友達や先生)が描いた絵、つまり記号化された絵を再現するものなのでしょうか?
(今後どうなっていくのかな、と思っている間に、半月ぐらいの間で普通の書き方に統一されていました。)
だからスカートも、もしかすると既に記号化されたものを再現したのかも分かりません。
実物を見たままに描くとどうなるかは、新しい題材をこちらがモデルを見せる前に描かせて見せたら分かると思うのですが。
わが子で実験しちゃだめ!
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