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裏日記
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娘が赤んぼの頃、うちの子って活発だな、好奇心旺盛だな、と感心するとともに、ほんの少しだけ不安になりました。

例えば、以前報告したことがあるかもしれませんが、まだ寝返りがうてないくらいのおチビの頃、彼女は背バイをして移動していました。
背バイは定型発達のバリエーションではあるけど、割とレアらしいのですが(びっくりして調べました)、彼女の運動能力と、「移動したい!!」という強い意欲と、我が家の子育てスペースの構造がそろって、初めて成しえたことだと思います。


ハイハイもすごいスピードだったし(時期も早かったけど、とにかく速度が速かった)、つかまり立ちを始めた時は、「上から見たい!!」という彼女の心の声が聞こえてきそうな勢いでしたし、伝い歩きもすごくすばやく、そういう選手権があったら大阪代表ぐらいいけたかもと思うくらい、あ、これは冗談ですが、とにかく速かったです。


あんよがだいぶ上手になってきた1歳直前、学会スタッフの打ち合わせで国際会議場に娘を連れて行ったことがあるのですが、誰もいないガランとした広い廊下にて先輩医師と打ち合わせをしていたら、娘は目の前にまっすぐ広がった道に大興奮してしまって、どんどん歩いて行ってしまい、どこまで行くかと見ていたら、ついには見ていられないぐらいに遠ざかってしまって、打ち合わせを中断してダッシュしたこともありました。

彼女が2歳3歳と歳を重ねて足が早くなったら、私は追いつけるだろうか?、と、一抹の不安を覚えたものです。


ところが、保育園に入園した1歳半ごろから、だんだん落ち着いてきたのです。


新しい場所に行くと、様子を見る時間がたっぷりとられるようになりました。
公園のような広いところに行っても、駆け出すには躊躇しますし、お友だちの家に遊びに行っても、しばらくは私にまとわりついています。様子を見渡して、安心してから遊び始めます。
滑り台も、以前の方が大胆に滑っていましたが、最近は高いところが怖い、ということも分かってきたようです。

駅などの人が多い場所でも、大体は手をつないでくれるので、特別な難しさはありません。


状況を見渡したり、行動を抑制したり、少し待って考える脳の機能が成長したのだと思います。


この娘、眠たい時には荒れます。
その荒れ方が特徴的です。


でっかい声でよくしゃべり、テンションは高く、親の言うことはちっとも聞かず、次々とおもちゃに飛びつき、一見すると楽しく遊んでいるように見えます。
でも眠いのです。
自宅でこの状態になった時に上手く布団に誘えば、ものの5分でバタンキューです。

外出中で、昼寝がうまくいかなかったときなどは大変で、お店の陳列物を次々と触ったり、走り回ったり、行動の統制がとれなくなります。


眠気が彼女の前頭葉の働きを鈍らし、本能むき出しになっているように見えます。


対策はただ一つで、大人が娘の生理的なリズムに合わせてスケジュールを立てることです。


さて、ここからがバ仮説です。

娘の根っこの気質は、大胆で、新規探求心が強いのだと思います。

それをより高次な脳の機能がコントロールしつつあるのだと思います。
将来的に彼女がどんな性格の女の子になるのか、とても楽しみですが、娘は脳の抑制をとってしまう、アレには相当気をつけた方がいいでしょう。

アレとは、お酒!!

お酒を飲むと、誰しもちょっとタガが外れるものですが、娘はもしかすると、後で後悔するくらい外れちゃうのかもしれない、と思ったのです。

(例えば、前々から気になっていた上司のかつらを確認するとか・・・。)


赤ちゃん時代と、幼児期初期の行動の変化からのバ仮説でした。





<補足>
好奇心は強く、色んなものに興味しんしんで、親の行動の真似、たとえばお化粧や料理などをしたがるといった形では続いています。

危ないことが全部分かっているかと言うと、全然そんなことはなく、例えば我が家の前は国道ですが、娘にとっては慣れた道なのか、手をつなぐのを嫌がります。(もちろん、どれだけ嫌がっても無理やり握っています)

好奇心の強さは、母である私の中にもあり、親子で似ているなぁと思います。
うちの親曰く、娘と私は赤ちゃん時代の様子が随分異なるようです。私は娘よりは随分大人しい赤ちゃんだったらしいのです。
これについては、気質よりも、運動機能の違いが大きいと踏んでいます。

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私は本を読み散らす方で、実用書や仕事の本はともかくとして、小説などはたいていの場合、1カ月もたてばあらすじも思い出せません。

最近、夫と好みの本の傾向が似てきて、例えば伊坂幸太郎などは一緒に読みます。
伊坂幸太郎は、お話同士がリンクしていて、別の小説に前出てきた人物がチラッと出てきたり、舞台を共有していることがあり、夫に
「○○は前にも出てきたね」
と言われると、
「そうだっけ、何て本?」
と聞き返し、
「△△だよ。」
「どんな話だったっけ?」
そして夫にあらすじを聞いても、たいていの場合ピンとこないという、困った脳みそなのです。

理由は分かっています。
小説は一瞬の快楽のためにひたすらスピーディーに筋を追っていくような読み方をするのです。
面白くない描写は読み飛ばします。
うちの父は私に輪をかけてこの傾向がありますし、血筋的にも、生育環境的にも、本は読み飛ばしてしまうのでしょう。
図書館で借りるからこんなに読み飛ばすのか、と言えばそんなわけではなく、自分の財布から買っても忘れまくるので、たくさん読みたいしお金ももったいないからやっぱり図書館で借りるくらいがちょうどいい私でした。

本だと、まだ格好がつきますが、これを食事に例えると、ジャンクフードから懐石まで、マナーもひったくれもなくひたすらたくさん食べまくるのと一緒ですから、グルメ(=愛読家)、とは言えないですよね~。


時どき本のレビューを書くのはこのためで、面白かったら記憶に残したいですから、レビューをまとめる作業で脳の別の部分を使うのです。

さすがにレビューを書いた本のあらすじぐらいは覚えていますよ…たぶん。


ちなみに今読んでいるのは、平野啓一郎の「ドーン」。
これがまた、ものすごく面白いので、忘れないようにレビューした方がいいかも。
母校から同窓会名簿が届きました。

開業したんだ~、とか、東京に住んでるんだ~、とか、結婚したんだ~、とか、みんなの人生が垣間見れて非常に面白いです。

開業した同級生夫妻の医院のHPをみたりもしました。

私は母校から離れて働いていますから、ご近所さん探しも大きな楽しみです。

自転車で15分くらいのところに同級生が住んでいてびっくり!
前の職場のそばに、サークルの先輩が住んでいてびっくり!

なんだか大学時代が懐かしく、でも実は、懐かしいって言葉では表現できないくらい、恥ずかしい思い出に満ち溢れているので、1人で勝手に「わーっ」となったりしています。

主観的な話ですが、私は平均よりも恥の多い人生だと思います。

良くも悪くもエネルギーが高さが影響し、良い思い出と恥ずかしい思い出は、大体セットになってます。

大人になるにつれ、エネルギーも徐々に下がり、コントロールも上手になってきたので、この10年と、その前の10年を比べたら、前の10年の方が圧倒的に恥ずかしいことが多いです。

若いって、怖い。

懐かしいという気持ちが、恥ずかしさに蓋をしたい気持ちに勝ってしまったようで、同級生や先輩に会いたくてしかたなくなり、電車で20分のところに住んでいるKちゃんと子連れランチの約束をしたり、上述のサークルの先輩と、最近ご近所に転勤してきた後輩に連絡を取ってミニOB会を企画したりしました。


自分で選んだこととはいえ、地元を離れ、母校を離れ、なかなか旧交を温める機会がありません。
あんなに大切な時間を過ごしたのに、今ではまったく別の人生、というのは寂しいものです。

時どき、こうやって気持ちが盛り上がった時に、勇気を出して連絡を取って、近況報告をしあったり、昔話をして、離れてはいても同じ世界に住んでいることを確認できたら、とてもうれしいですね。


はあ、それにしても、恥ずかしい思い出が多すぎる。
数珠つなぎに思い出しちゃう。


娘に学ぶことは多いです。

娘は現在2歳3カ月ですが、いろんなことに興味しんしんで、親や保育園の先生の言動を真似したがります。

例えば、保育園に持っていく紙オムツには、親が名前を書くのですが、彼女は自分で書きたがります。

さすがに園に持っていくものには書かせられないので、自宅で使うオムツは
「名前を書いてね」
と、ペンと一緒に渡します。

もちろんまだまだ文字なんて書けませんけど、字を書くみたいな雰囲気で、何やら線を書きこみます。

「むむタン、自分でできた!」
鼻をふくらませて、母に報告です。


その達成感、分けてくれ~!!


私たち大人は、色んな難しいことを乗り越えたり、乗り越えられなかったりして今ここにあるのだと思いますが、すっかり耐性がついてしまい、少々のことでは達成感が味わえません。

昔はこんなシンプルな事で
「私ってすごい!」
と感動していたのにね。

もちろん、娘にとっては、オムツに殴り書きすることが、私たちで言う難しい仕事をやり遂げた後くらいのミッションなのかもしれないけど、ここはそうとらずに、

シンプルな事でいいから、チャレンジする好奇心や、成し遂げた後に達成感を味わうことを、娘の姿に学んでみるのもいいかも、なんて思いました。


輸血拒否や熱心に個別訪問をするので有名な某宗教の方が、毎月冊子を置いていきます。

私の患者さんにこの宗教と関わりがある方が多く、モニター越しの若く美しい女性信者さんが患者さんと重なってしまい、無下に断ることができません。

「冊子をポストに入れておいてください」
「お疲れ様です」
位の声掛けをしてしまいます。

私が冊子を受け取ることで彼女のノルマが減るなら、くらいの気分ですが、ノルマ制があるのかどうかも知りません。

そんなことをしているもので、いつまでもいつまでも月一回の訪問は続き、今日はとうとう聖書のお勉強のお誘いのお手紙付きで、携帯番号が書いてありました。


私の患者さんに信者が多いのは、想像以上に国内の信者が多いことと(先の戦争でも非武装だったので人気が出たらしい)、精神科医と関わるような悩める人は、とにかく誰でもいいから話を聞いてと、個別訪問の際にドアを開けてしまうのでしょう。

キリスト教の素養がない私にとって、冊子はチンプンカンプンです。
たぶん、多くの日本人は私と一緒で、聖書なんて読んだことがないから、この宗教と主流派の教えの区別はつきません。


ネットで調べたところ、お金をむしり取るようなことがないことが分かり、少し安心しましたが、
「神が与えた試練よ」
と、子どもたちの学校生活に様々な規制を加えるのが心配になりました。

国家を歌っちゃダメ: 理由は政治不参加
柔道(武道全般)の授業に参加しちゃダメ: 理由は武力行使しない

などなど。いかにもクラスで浮いてしまいそう。
偶像崇拝ができないので(当然、キリスト像やマリア様もダメ)、修学旅行で神社仏閣を回ることもできないのかな?


大人が自分の意思で少数派として生きて行くのは全く構わないのですが、年端もいかない子どもに選択肢を与えないというのはかわいそうですよね。
しかもね、学校側に説明するのは、子ども自身でやらなければならないんですって。


それが辛くて、宗教的な信念を曲げて学校では周囲に合わせると言う選択をした子どもは、他の子と同じ活動をしながら、罪を犯していることになるわけです。


患者さんがこの宗教によって救われている部分があるのも確かなのですが、もし神様がいるなら、どうしてこんなに試練ばかり与えるのでしょうね。

私には分かりません。


(教えてくれそうな人に聞きに行くのは怖くてできませんね)

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