他のドクターの書いているブログを時々読みます。
なんだかみんな大変そうで心配です。何が大変そうって、ものすごく忙しそうだから。当直当直当直(当直の次の日も働くんだよ)。睡眠は人間にとって必要なものです。睡眠不足だとイライラするし集中力も下がります。医療ミスも招くかもしれません。
だからといって、医者が全員必要な睡眠をとれば、日本の医療は崩壊します。
最近メディアを騒がしている某外科系ドクターが、わが母校の先輩と知りました。一気に身近に感じました。本当のところどうなのかとかは分からないわけですが、安全(保身)志向の医療で、被害を受けるのは結局患者さんなのです。
これはどういう意味か。
全然大した話ではないのですが、分かりやすい例を1つ。
近々うちの診療所でもメラトニンを出すことになりそうです。メラトニンはアメリカではドラッグストアで買えるような薬ですが、日本では認可薬ではありません。明らかにメラトニンが欠乏している患者さんに、効きもしないほかの薬を出したり、メラトニンが分泌されるように祈りなさいと言うよりは、よっぽど親切な医療です。でも認可薬じゃないから、保身に走ればメラトニンなんて出しません。
医学とはそういうものです。
患者さんの健康を考え、患者さんの引き受けるリスクと、医者は責任の一端を担うことによって、新しいことや珍しいことを試すのです。
中にはもちろん、×な医者がいることは確かですが、少なくとも私が出会ったドクターの大多数は、真面目な人たちでした。
もちろん自分の所属するカテゴリーには誰でも身びいきをするもので、だからこそ某ドクターが母校出身と聞いて身近に感じている訳です。
身びいきへのバランスをとるために最近私が軽くショックを受けた話を。
1.義理の妹が携帯電話のクレーム担当をしている。最近客に携帯電話を投げつけられたが、その客が医者だった。
2.某ブログで医者の自殺が話題に出ていて、それは「うんうん」と納得して読んでいたのだが、リストカットして形成の先生を名指しで呼ぶ医学生に関する書き込みがあった。医学生のクセに!と腹がたった。
同じカテゴリーに属する人が、イメージと違うことをすると、ショックを受けるものです。1.についてはひょっとすると世間の皆さんのイメージ通りなのかもしれませんが。
と、蛇足話をして混ぜっ返してしまいましたが、医者を非難することは簡単だけれども、非難して悪くなる部分が良くなる部分を凌駕してしまっては、仕方ないですよね。
そういうことが起こりつつあります。
書店に行くと、発達障害関連の本が溢れている。いい本もたくさん、いまいちの本もまあまあ、トンデモ本も未だにある。
『自閉症を克服する』は、ケーゲル夫妻(その道では有名な人)の妻の方が書いた、ABA(応用行動分析)の本だ。
最近聴きに行った講演会で、PRT(Pivotal Responce Training)というのがABAの中で流行っていると聞いて、じゃあ、その本を読んでみようと思って購入した。
こういうきっかけがないと、なかなか『自閉症を克服する』なんて題の本は買わないのだ。だって”克服する”という言葉に、非科学的な臭い(うさんくさいともいう)がプンプンするから。
かつて(今も?)ロバースという人が、早期に徹底的な行動療法を行なうことで、自閉症を治す、と言って、大論争を巻き起こした。自閉症を治すというのは明らかに言い過ぎだった。
彼らは治したと言っているが、自閉症に限らず発達障害は自然な成長の経過で軽くなることがあるし、単にIQが上がったとか、あるいはカナータイプがアスペルガータイプに変わったことを指していることもあるからだ。
で、最近流行のPRTはどうなんだ、と。ロバースとどう違うんだ、と。
確かに、ロバースより柔軟になっている。参考になるアイディアもたくさんある。
が、しかし・・・。
行動に介入し、変化させる。
変化させる=治療する=定型発達に近づける。
ABAとはそもそもこういうものなのかもしれない。
著者は堂々と、きっぱりと、あまりにも遠慮なく、読み手の親に「○○しなさい」とメッセージを送る。
「○○すれば、子どもはきっとよくなる」と。
親はがんばってがんばってがんばって、子どもにどんどんどんどん介入して、そしたら子どもはきっと良くなる。あなたの子どもの脳みそに、いい神経回路を伸ばそうじゃないか!!と。
行動療法のアイディアはかなり役に立つ、それは間違いない。ある程度、神経回路も伸びるだろう。
ABAがしっくりくる親子がいることも分かる。
でも、やはり認知特性に配慮することや、自閉症文化の尊重(違いを認める)を組み込んだ療育の方が、理にかなっていると思う。得意を生かすこと、違うことを認めることは、ついでにではなく、最初から最も配慮されるべきことだろう。
(この間アフリカに行ったときにも思ったのだが、最近のABAは、認知特性に対してやや配慮するのだ。)
この『自閉症を克服する』は、いろいろ分かっている人が、アイディアを借りるために読むにはいい本だが、初心者にはお勧めしない。
今日は誕生日。
なのに今1人でいるんですけど!!
昔から誕生日はあまりいい思い出はない。
期待しているほど親も兄弟もちやほやしてくれないからだ。
小学生の時は何回か泣いたなあ。
あ、帰って来た。
臨床力を上げたい。研修医時代からずっと続く願いだ。
次の転職ももっと医者力をつけるためだ。他の要素もあるけど。
精神科臨床の中で非常に大切なことの1つが
「何をもってゴールとするか見極めること」
だと思う。短期目標、長期目標によっても違うと思うけど、その患者さんにとっては就労がゴールなのか、デイケアがゴールなのか、在宅で安定することなのか、はたまた入院生活を安定して送ることがゴールなのか。
患者さんが高すぎる目標を掲げている時は、行き詰って落ち込んで、病気を再燃させてしまったりするから要注意だ。
もちろん、行動療法的プログラムを組んで、より高いストレスレベルの社会復帰をさせていく場合もある。
ものすごく難しいことだけど、大事なことだ。
今日は某大学に用事があって行ったんだけど、アニメ研究会のポスターに「君は1人じゃない…」と書いてあって、胸に沁みたよ。
対して上手くはない、されどオタクっぽいイラストに添えられた名コピーだよ。
私がアニオタだったら入っちゃうね。あのサークル。「ああ、もう私は1人じゃないんだ」って。
さて、今日は日本語の難しさについて考察したい。
上に書いた「君は1人じゃない・・・」の名コピーも、テニスサークルのポスターだったら興ざめ、いや、もっと言ったら、同じアニメ研究会でも、ポスターの絵が上手かっただけで興ざめだろう。
それぐらい言葉って難しいのだ。
さて、今日の本題、タメ口のバ仮説。
実は私は4月に異動する。今の職場に新しい先生が来るので引継ぎをしなければならない。
新しい先生は「同い年の2学年下」。医者の業界では、私の立場をを先輩という(他の業界でも一緒だよね)。しかもこれまで1回しか会ったことがない。つまり友だちではない。
その先生が、引継ぎの日程調整のやり取りで、ものすごくタメ口!なメールを送ってきたのだ。
多分同い年だからなんだと思うけど、それにしてもまだ1回しか会ったことないからさ、普通は敬語なのだ。
で、あんまりこんなこと書いていると、自分の人間の小ささが気恥ずかしくなってきて、彼のタメ口を受け入れなければと思うのだ。
例えばこうも考えられるではないか。
彼は私と親しくなろうとしている、既に親しいと思っている、若いと勘違いされている(もうすぐ32歳な私としては、これは嬉しい)、など。それはむしろ歓迎すべきことなのではないか、と。
となると結局、負のフィードバックがかけられない。彼のタメ口は受け入れられることで正の強化を受けるだろう。
タメ口のバ仮説とは、タメ口を発するものは正の強化を受けやすく、受け取るものは自分の人間の小ささを思い知り、それを乗り越えることでステップアップする、と。
えへ。