今日の大阪はくもり。
我が家はベランダにガーデンテーブルとチェアのセットを置いているんだけど、今日はそこでブログをアップしています。
うちのベランダ(最近はテラスというべきか)はマンションの割りに広い。入居したての頃は、ここでお茶したり、日によってはキャンドルに火をともしてディナーもしよう、と張り切っていたけれど、実際はそうめんを1回食べたくらい。
だってたいていは洗濯物に占拠されているんだもの。夏は暑いし、冬は寒いんだもの。
実用的でないものは、どんどん淘汰されていく我が家。
新婚生活のために父母が買ってくれた立派なテーブルセットですら、テレビを見るのにより便利な、学生時代から使っているちゃぶ台にその役を取って代わられている。
家はひたすらくつろぐ場所なのだ。
さて、先日、前の職場の先輩の結婚式に行った。
先輩(♂)は多分40歳をちょっと超えるくらいの年齢で、奥さんは私と同世代。
ウエディングケーキやらお色直しやらスライドショーやらキャンドル点火やら、花嫁からの泣かせる手紙朗読やらのフルコースウエディングであった。
人の結婚式に御呼ばれするといつも、自分が結婚式をしなかった意味について考える。
セレモニー的なものに意味を見出せなかったことや、私は結婚式をしないような人であるという意思表示や、そういうまあ、なんだったら論文でも書けそうな理由はもちろんあるのだけど(時どき、写真だけでも撮ったらと言われるが、あまりにも価値基準が違いすぎて笑っちゃう!)、まあ、正直言うと私と夫がめんどくさがりなのも大きく関与していそうだ。
母は、私が結婚式をしなかったために、いつまでも私が結婚した気になれないと言っていた。
結婚式は父母にとって、子と別れる儀式でもあるのだね。
うちの父は「自分が死んだら葬式をせずに灰を海に撒いて欲しい」とかかんとか言っていたけど、最近の私は普通に葬式をしてしまおうと思っている。葬式のような別れのセレモニーは、より形式的なほうが悲しみがまぎれるでしょ。
それに灰を撒く許可を得るのはめんどくさいんだから(笑)。
先輩の場合、結婚されたのも遅めだったし、なんとなく結婚しない人なんだろうとみんな信じていたから、結婚式をハデに挙げた意味は大きかったんじゃないかな。
(結婚したことを信じざるを得ない)
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