つづきです。
自分の本当のところって、二重三重に覆い隠しているから分からない。私とか、結構自分にウソを付くのも上手いし、”こうでありたい自分”と”こうである自分”の判別が難しい。
私が今回、小鳥を見てげんなりしながらクリアに感じたことは、「M先生には内緒にしたい」ということだ。この感情はあまりにもクリアだったし、内緒にしたいとは自分のその特性を恥じているということだから、結局私は”鳥を見ながら鶏肉を食べられない私”だということが、立証されたのであった。
実は疑っていたのだ。ホントは、鳥を見ながら鶏肉も食べられるし、解剖実習も最初から平気だし、実習で使った発育鶏卵もマウスも、ホントは平気だったんじゃないかと。
大学生の頃の歪んだ”女の子らしさ”への憧れの発露だったんじゃないかと。
大学生の頃、真面目な部類に入る学生だった私は、どうしても動物実験が苦手で、あれだけは途中で教室を抜け出してサボったんだよね。で、サボりながらも、「本当に私は苦手なんだろうか?」と自問自答したり。
「でもこれが”こうでありたい自分”だとしたら、いったいぜんたい誰にアピールしているんだ?私は??」と悩んだり。
私は因みに、馬刺しも鹿のソルベも一口しか食べられなかったんだけど、もし今後日本が食糧難に陥るとしたら、絶対バクバク食べると思うよ。
そのときは、優先順位の変化が起きているからね。
ただいま。
ビクトリアの滝(ジンバブエ)→チョベ国立公園(ボツワナ)→ケープタウン(学会です。南アフリカ)→クルーガー国立公園(南アフリカ)と旅してまいりました。
いっぱい写真も撮ったので、よかったら土産話を聞きに、我が家に遊びに来てください。
それでは今日の話題
「君は鳥を見ながら鶏肉を食べられるか?」
これは、題をみて気持ちが悪いと思った人は、読まないほうがいい話題だ(例えば私の母は読まないほうがいい)。
私が大学の教養の頃、広いキャンパスの芝生にピクニックシートを敷いて、友人たちとランチをとることが常だった。
ある晴れた日、いつもの昼休み、チキンフィレサンドを食べていた私。ふと気がつくと、周りに鶏がコッコッコ、と散歩していた。
まてよ。私の食べているのは・・・。
それに気がつくと、食いしん坊の私の食欲は一気に消え去り、チキンフィレサンドは闇に葬られることになった。その時一緒にいた友人は、
「ニャムちゃんかわいらしいね」
と。
かわいいにもいろいろあって、このかわいいにはいろいろな意味が含まれている。
そして今回の旅行中の話。
私とM先生は、クルーガー国立公園のゲームドライブに参加していた。クルーガー国立公園は四国と同じ広さの広大な国立公園で、多くの野生動物が生息し、生態系の保護に成功していると、地球の歩き方に書いてあった。キリン、ライオン、サイ、カバ、ゾウ、動物園の人気者たちにも遭遇した。
でも今日は小鳥の話。
ランチは、整備された公園内のレストラン。私たちは屋外のテーブルで、パノラマに広がる壮大な景色を楽しみながら食事をとった。
スズメほどの大きさの、顔が黒くて体が目も覚めるほど鮮やかな黄色をした小鳥。小鳥は美しい声でさえずりながら私たちのテーブルの側にいる。
まあ、なんてかわいらしいんでしょう。
最初はそう思った。
でも、思い出してしまった。自分がチキンを食べていたことを。
そうすると、やっぱりダメだった。自分の口の中にあるモノと、目の前にいる小鳥とがリンクして、食欲が消えうせてしまった。
私はそういうヨワッチイところを、M先生には見られたくなくて、食欲を失ったことを隠して、ひたすらフルーツを食べていた。
さらに話は続く。
小鳥は、かわいらしそうにみえて、狙っていた。
明らかに、こちらの隙を狙っていた。
隙を突いて、自分の体の3分の1ぐらいの大きさの肉を奪って、飛び去っていった。
他の鳥たちも、「こいつらゆるい」と思ったのか、集まってきてしまった。
ヒッチコックの The Birdの世界だ。
ナイーブな私は、フルーツを食べることも怪しくなった。
この話は続く・・・
みなさま
明日から11月6日まで南アフリカに行ってきます。
メールのチェックとかもできませんし、しばらく連絡取れなくなりますがお許し下さい。
明日は午前中、うっかり仕事を入れてしまったので(これもまた一種の病気)、何事も起こらないように一緒に祈ってもらえませんか???
何か起きても振り切って出発する勇気と!
旅行の様子は帰国後報告できると思いますが、とにかく移動が長いので、本は5冊持ちました。
パン屋再襲撃、風の影(上下)、グロテスク(上下)、です。
同行者のM先生は、何か持ってきてくれるかなぁ。
ビクトリアの滝、チョベ国立公園、ケープタウンで学会中は喜望峰、それからクルーガ国立公園、という観光三昧。
学会参加日=休養日。
てへ。
それでは行ってきます!
朝起きたら、TVで箱根駅伝の予選会のドキュメントをやっていた。
拓殖大学陸上部が、1秒差で国士舘大学に負け、去年に引き続き今年も非常に惜しい結果で箱根駅伝に出られなかった。
9位国士舘大学の発表があった瞬間、拓殖大学の選手たちは、大号泣であった。叫びながら、地面に額をこすりつけて泣いている選手もいた。
みごとな泣きっぷりだった(来年応援しようと思うほど)。
私は箱根駅伝の特別なファンとかではないけれど、1年間箱根目指して朝も昼も夜もトレーニングに明け暮れた選手たちのことを思うともらい泣きしてしまった、というのはウソで、人が泣くと涙は強い伝染性があるので、、もらい泣きしてしまったのだ。
もらい泣きはじめた後、1年間の苦労を思う、と順番が逆なわけ。
もらい泣きは、泣くたびに強化される性質もあり、1人暮らししていた頃に「誰も見てないからいいや」と、もらい泣きを解禁したら、結婚後も収まらず、わりと些細なことや、共感しにくい遠い話まで(例えば、定年退職するサラリーマンのドキュメントとか)仕事のようにもらい泣きする私であった。
仕事って、”泣き女”のこと。
私は多分あの職業の才能があるな。
最近書いてないなあ。
忙しいのもあるけど、モチベーションが下がっているなあ。
(モチベーションが下がった理由はいろいろだけど、まあ面白くない話だからいいや。)
さて、なんで忙しいかというと、月末から月初めにかけて、長期仕事を休むからだ。
就職して以来、一番の長期休み。
何で休むかというと、海外の学会に参加するのだ。
学会の場所は南アフリカで、私にとっては生まれて始めての「アジア抜け」だ!!さすがに南アフリカは「地球の歩き方」ぐらいしかガイドブックも売ってなかったよ。
学会に参加という言葉はしっくり来ないな。だって何も発表しないもーん。
観光旅行のきっかけが学会なだけだな。それと、同業の先輩に誘われたというのが最大のきっかけだな。
仕事は、休むとなると前後にしわ寄せが来るので、今しわとりに忙しいのだ。
例えば今日は10月が締め切りの翻訳をしている(なんか週末翻訳ばっかりだ)。
確かにしわ寄せによって忙しいんだけど、それだけじゃないな。なんか実際に忙しいよりも大変に感じているんのだよ。原因はズバリ”長く休むことへの罪悪感”
仕事とプライベートの切り替え、自分は上手いか上手くないか?? 自分より切り替えが上手い人は多いもんだけど、同じ職種(っていうか同程度の責任保持者?)で比べないと分かんないよねぇ。
せっかく長く休むのに、仕事の心配ばかりしていて、なんて不健康!。患者さんに休め休めというのに、自分が休めない精神科医は多いものなのだ。
「あなたは、あなたと同じ状況にいる友人にだったら、どんな風に声をかける?」
これは、患者さんに自分の状況を客観視してほしいときに(ポジティブに捉えて欲しいときに)精神科医が使う決まり文句の1つなんだけど、そうだなあ、今の私だったら・・・
「休んでいる間、何かあっても他の先生が何とかしてくれるよ。お互い様じゃんか。休まない人には他の形でフォローすればいいよ。それにさ、もう出かけちゃったら何もできないんだからさ!」
「仕事とプライベートを両方充実させるにはさ、割り切りも必要なんだよ。なんでも欲しがるのは贅沢だよ。」
って感じかな。わりと厳しい言葉がけをして、背中をバチコーンと叩く感じ。
勇気が要らないくらい休みやすくて、かつナルシストな自分が満足できるような仕事、今後出会うこともあるのかなあ。