今、TVで、『一期一会キミに聞きたい!オタクと偏見の話@乙女ロード』 というなんとも奇妙な番組をやってる。
乙女ロードというのは、”女の子のオタク”を対象としたお店が並んでいる通りだそうだ。(池袋にあるんだって。東京ってすごい街だね。)
乙女ロードで男装喫茶を経営している女社長(もとメイド喫茶店員)と、典型的な体育会系の男性がお互いを知り合うという設定。男装喫茶は、客ではなく店員が男装しているんだけど、なぜに男装かというと、アニメのキャラクターを3次元に持ってくるには、本物の男では難しいからなんだって。
その発想は判る気がする。某アイドル集団が、王子様を具現化するために、女性ホルモンを注射するのと一緒かもね(あの噂ってホントなの??虐待じゃないの???)。
女社長はガンダムSEEDの大ファンで、部屋にはフィギュアと等身大のポスターがいっぱい。主人公の鎖骨が好きだという。”鎖骨に萌え~”なんだろうな。多分。
番組は、体育会系男子が女社長の店や部屋に行き、オタクの気持ちがちっとも分からなくて、それを率直に口にしてはオタクサイドにやり込められ、という感じで展開していく。
最終的にどう話を収めたかというと、女社長が涙ながらに「自分がガンダムSEEDに出会ったキッカケ」と語るのだ。なんでも、お母さんが末期ガンで苦しい時に、救ってくれた、現実の苦しさから唯一逃げ込める場所だったと。そしてそういう人もオタクの中にはいるということを知って欲しいと。すると体育会系男子は、自分も苦しかった時スポーツに打ち込んで救われたことに思いを馳せ、形は違っても気持ちは一緒♪と、番組はハッピーエンドを迎える(さすがに言語化されなかったけどね)。
率直な感想:こういう番組はキライ。
人の好みはそれぞれだ。
辛いことがあって、アニメに癒される人もいれば、スポーツに癒される人もいる。それは出会いやタイミングもあるし、体質が求めるところもあるだろう。
自分の好みを攻撃的に押し付けるのは傲慢だ。
スポーツは多数派であるから、私たちは気が付かずに押し付けてしまうのが問題だ。
オタクは少数派であるから、好みを攻撃的に押し付けられた日には、もう逃げるしかない。
お互いはわかりあう必要はない。お互い静観が一番自然だ。お互いを分かり合わせようという、番組制作サイド(もちろんNHK)傲慢だなあ。
それからもう1つ。
お母さんが末期がんにならなくてもオタクになっていいはずだ。
私はとにかくこの鎖骨が好き。
キミには分からないだろうね~。
私にも分からないもの。あえて言えば脳が求めてるって感じ?
―体育会系男子、ドン引きのまま、エンディングロールを迎える。
っていうんじゃダメかい???
子孫を残すことが至上命題である生物としてのヒトにおける、ファッションの意義についてのバ仮説(笑)。
植物が虫を誘うために美しい花を付けるように
オスの熱帯魚がメスを誘うために美しい尾びれを持つように
クジャクが美しい羽を広げるように
私たちヒトは、身を飾る。
朝、通勤電車に乗り、周りを見渡す。どうやらヒトはメスが身を飾るようだ。
以下、職場最寄り駅につくまでに整理した、ファッションから推測される、ヒトのメスの分類である。
a)分かりやすい女性性をアピールする:男性との差異がより明瞭になるようなファッション。つまり露出が多かったり、過度に曲線を強調している。オスへのアピール性は高いが、露出や曲線を好むオスを引っ掛けること自体のリスクがある。
b)情報収集能力が高いことをアピールする:流行の最先端をキャッチしている群。ただし、流行の最先端をキャッチしている事実は、同様のアンテナを持つオスにしかアピールができない。また、エネルギーを消費するため、生まれつきエネルギーが高いヒト以外は、ファッション以外の生活に対して分配する量が減ってしまう。因みにここでいう”エネルギー”の中には金銭も含まれる。
c)”ふつう”であることをアピールする:a)やb)のリスクを回避するため、多数派を選択する群。リスクが少ないことが最大のベネフィット。この群には、ガーリッシュ群、ボーイッシュ群、カジュアル群、キャリア群、など、サブグループがたくさん存在するが、総合すると、非常に人口が高い。今年の最大派閥は、キャミソールにカーディガンか(と、ピーコが言ってた)。
d)何かにに所属することをアピールする:具体的には、高校生の制服など。高校に制服がなくても制服を模した服を身につけ、巧みに擬態しているヒトもいる。細かく観察すると、このd)群の中に、サブグループとしてa)、b)、c)、e)などが存在することが分かる。
e)ファッションには関心がないことをアピールする:この群には、積極群と消極群が存在する。積極群は先日書いた、女教師のファッションの記事参照。ちなみにオスの中には、メスのファッションに関心がない群、華美なファッションを好まない群も一定存在するため、e)群は脈々と子孫を反映させることができる。
以上簡単ではあるが、ヒトの、オスへのアピールとしてのメスのファッションについてのバ仮説報告した。
最後に、以前からずっと私が考えていたバ仮説もこの際報告しよう。
サーベルタイガーの牙、オオツノシカの角がよく例にあげられるが、進化に有利に働くと考えられて、どんどん長く大きくなっていった結果、その種を滅ぼしてしまう。
現代ファッションにも同様の例がある。
それがルーズソックス。
・・・さすがにそろそろ絶滅しそう。断末魔が聞こえる。
<業務連絡>
今日からしばらく旅行に出かけます。朝から出発するはずだったのに、夫は寝てるし私はブログアップしてるよ。どうなってんの!
土曜日曜と、仕事関係の泊りがけの会議=合宿に参加した。
合宿なんて久しぶりだったので、仕事とはいえ、なんだか楽しかった。某有名私立大学の、学生向きのセミナーハウスに泊まり、久しぶりにドライヤーは愚か、タオルも石鹸も貸してくれないところに宿泊した。
アルコールの持ち込みも禁止だったので、夕食後はお茶を飲みながら、異職種の人と語り合ったのも楽しかった。
さて、会議のテーマは、某市のユースサービスを今後どう進めていかについて。
(もちろん私の本業ではない)
会議は非常にシステマティックに行なわれた。それもそのはず、会議のファシリテーションを本職とする人が、司会進行を買って出てくれたからだ。
今日のブログの本題は、システマティックな会議はどのように行なわれたかの報告。
1)近況報告。たまにしか合わないメンバーなので、アイスブレイクを兼ねて。
2)2日間の予定の発表。司会者が前もってA4の裏紙にマッキーで書いていたことを、どんどんホワイトボードに張っていく。
3)今までの会議録を読み(合宿まで月に一回、一年ぐらいかけて話を広げてきた内容を振り返る)これからのユースサービスのために重要と思われたことを、一人一人が決められたいくつかの表現形態にしたがって、ポストイットにどんどん書き付けていく。
4)ポストイットを順番に模造紙にみんなで順番に貼り付けていく。近い意見があれば側にはる=課題のマッピング
5)マッピングしたものを、グループに分け、グループにラベル(若者の視点で、○○がほしい、というような表現にまとめていく)をつける
6)5)で作ったものを、縦軸は今後3年間でニーズが高まっていくかどうか、横軸は某団体が得意とすることかどうか、で並べていく=ユースサービスを取り巻く多くの課題点の中で、近く取り上げる必要があることを取捨選択するための作業。この縦軸と横軸のえらび方が絶妙だ。
7)えらんだ課題に関して、今後どのように議論を進めていくかを決める=小グループに分かれて話し合うことに
すごいね~。システマティックだね~。
話が逸れると、ちゃんと引き戻してくれるし。
勉強になったなあ。
うちの医局、爪の垢を煎じて飲ませていただく必要があるかもしれない。
(余談)
司会をしていた立派な人が、26歳というのにも驚いた。
26歳の若者が、ユースサービスを大人目線で語る、という奇妙なことになってしまった。例えば、
「最近の若者は適切に親密な関係を築けない。ま、僕もですけど。」
とか。
休憩時間に雑談中、彼が
「経済的に安定しないのでまだまだ結婚とかは考えていない」
と他の人と話しているのを小耳に挟み、
「じゃあ、経済的に安定している女性と結婚すればよい。」
と大切なことを教えてあげた。
そんなことにも気づかないとは、まだまだやつも青い(笑)。
今TVを見ているのだが、「体育の家庭教師」なるものが日本にはあるらしい。
子どもが家庭教師とキャッチボールをしている画像が流れている。
この商売を思いついた人はすごい。
いろんな需要があり、どんなところにも商売は成り立つもんだ。
前のブログでも書いたことがあるが、どうやら私は、1度も逆上がりができないまま、人生を終えそうだ。
前書いてた記事の論旨は、
学校で教えてもらうことは人生にとってどうでもいいことも混じっていて(かなり、ね)、そのことで苦しんだらソンだ、優先順位をつけようぜ!
ということと、
でも学校はいろんなことと(半ば強制的に)出会わせるところでもあり、それが一生涯の趣味との出会いであることもあるはず・・・。
ということだ。
それをふまえて今日の空想。
空想大好き♪
私が、この年になって「体育の家庭教師」を頼み、30も過ぎて逆上がりのレッスンを受けるとしよう。
わざわざ好き好んで、金をかけての家庭教師だ。
夫の反対や嘲笑を乗り越え、手は血豆だらけ、翌日ないし翌々日は筋肉痛、変なところが痛くなるはずだ。仕事にならないくらい辛いかもしれない。
それに、夜な夜な若い体育会系の男と公園で逆上がりをしていたら変な噂が立つかもしれない。
そんな精神的苦痛も乗り越えての逆上がりの特訓だ。
ぐうたら小学生だった25年前とはわけが違う。
ああ、きっと私は逆上がりができるようになるだろう!
鉄棒に体を引き寄せ、思いっきり足を蹴り上げ、くるっと体が回った瞬間、
世界は変わるだろうか??
いや、何も変わらない。
ただ、いい年こいて、家庭教師を頼んで、逆上がりができるようになったという、飲み会の珠玉のネタが手に入るだけだ。
それにしても、いいネタだと思わない??
誰か私の代わりにやってみない?
今日は史上最強の片思い漫画、『ハチミツとクローバー』の最終巻を読んだ。『ハチクロ』は、登場人物全員が片思いをしているという、なんとも甘酸っぱくてしかたがない恋愛漫画だ。見てはいないが映画にもなった。
最終巻、私としてはちょっとびっくりする展開があったけど、恋の実った人、片思いのまま終わった人、それぞれ納得のいく結果だった(笑)。
実際、片思いには片思いのよさがある。結婚して5年も経った今となっては、片思いが実らなかったこともまた良き思い出である。
片思いのいいところ:空想が膨らむ。何かと修行ができる。自由に時間が使える。鏡のように自分が見える。
一昨昨日、たまたま職場の漫画好きな若い”メガネ男子”と話した折(ちなみにメガネ男子、というのは今そういう題名の本も出たりしていて、流行っている言葉。ハチクロにはいい感じのメガネ男子が何人か出てくる)、この漫画の話が出た。「甘酸っぱさがいいですよね~」と言っていたので、もっと掘り下げて感想を聞いてみたいところだが、大事な会議の前で時間がなかった。
若い男子はあれをどう読むのか、1時間位かけて詳しく聞いてみたいところだ。
ハチクロでは、30代の登場人物も多く、大学生の主人公たちからは「大人組」と思われている。
「大人と子どもの違いは、子どもは大人を何でも知っていると勘違いしているところ」、というような感じのことを、メガネ男子の1人が言っていたなあ。なかなかいいことを言う。
作中の大人たちは、若者をみてやたらと懐かしがったり、甘酸っぱがったりする。それは読者の照れを軽減するための配慮の部分もあるだろう。
(それでも乗り越えられない人は恥ずかしくて読めない漫画。)
別に片思い自体は若者の特権ではないが、大人がすると甘いが抜けて、ちょっと酸っぱい感じがする、なんていうといろんな人に叱られそうだ。