この間睡眠障害の本を読んでいたら、コラムに「過眠と過食のある冬の欝は、冬眠のなごり」というような記載があって、ものすごく和んだ。
ああそうか、患者さんは病気じゃなくて、冬眠の準備していたのね。
なんでもかんでも病的モデルで考えるんじゃなくて、幅広い健康のバリエーションの1つと考えたいのだよ、私は。
まあ、「現代に冬眠とかされても困るんです」というもっともな訴えも聞こえている訳ですが、「冬眠するつもりでゆっくりしようよ」と思っちゃうのだ。
後々、大変になると困るので、歯に衣着せてうすらぼんやりと書きます(笑)。
専門家がトンデモ本を書いちゃうことがある。
トンデモ本とまでは言わないけど、ああ、あなたがこれ書いちゃダメでしょ、世間への影響考えてよ!と思うことが多々ある。
それから、じっくり読むといいこと書いてあっても、じっくり読まないと勘違いされそうな内容の本もある。よっぽど関心のある人じゃなきゃ、医療関係の本なんてじっくり読まないんだから、つまりは8割ぐらいの人に勘違いされるということだ。
主観的な意見を、科学的に見えるように書くのが上手な人もいる。だいたい、小さい科学的根拠を大々的に宣伝して、後は主観に任せて書いてしまうのだ。
ああ、困った、困った。
今度トンデモ本著者と、急接近するかもしれない。
私は、専門家の端くれとして、ちゃんとした応答ができるだろうか。
それとも影で悪口言うくらいにしとこうか。
いい人だったらどうしよう・・・。
それが一番、やりにくいのだ!!
それはそれ、これはこれなんて、私にはできないから。
ウッカリミスは誰にでもある。
ウッカリミスが多い人もいる。(例 サザエさん)
サザエさんがそうであるように、ウッカリさんの隙のある姿はかわいらしい。
ウッカリさんと上手に付き合うコツは、ウッカリ忘れられてそうなことは前もってメールで知らせたり、それとなく話題に織り込むなどして、思い出してもらうことだ。
例えば、1月前に約束したミーティング、ウッカリさんが忘れているかもしれないと思ったら、前日に
「そうそう、あしたミーティングですよね~」「明日のミーティングのことでちょっと相談なんですけど~」
と、私も今思い出したのよ的なさりげなさで、リマインドさせる。
忘れられて腹を立てるよりは、こっちの方が賢い方法だ。
「明日ミーティングですよ!覚えてますか!」
と下手に厳しくやっちゃうと、なにせウッカリさんは子どもの頃から親にこうやって怒られているので、フラッシュバックして「覚えてるに決まってるでしょ!」と逆切れするかもしれない。だいたい大人な付き合いなんだから、さりげない方がオシャレってもんだろう。
ちなみに私はPDAを使っている。とにかく何でも予定は書き込んでしまう。
だからあまりこの手のウッカリミスはしない。
PDAに書き込むという作業は優先順位も高く置いているし、ルーチンに組み込まれており、かなり守りは固い。
しかし、夫に言わせると私はウッカリ者のようだ。天につばきを吐くようなものだから、他の人のウッカリをあまり責めないようにしている。虫の居所さえ悪くなければだけど。
今日は、昨日の晩に送られているはずの資料が今朝になっても送られていないというミスを、後輩にされてしまった。
実は腹が立ったが、いろいろな状況を考えると誰かを責めても誰も得をしない。
「これからはちゃんとしようね」となかなか大人な対応をした私。
・・・ほほう。彼は結構ウッカリものだったんだな。
今後はリマインダーをさりげなしに送りつけよう。
今日は症例検討会に参加した。
開始時間を間違えて30分早く着いてしまった。
同じおっちょこちょいでも、遅い方に間違えるのと違って、早い方に間違えるならば社会適応はよいのだから、これも得な話といえば得な話である。
この会は、なかなかのメンバーが集まり、1ケースにしっかり時間をかけて話し合うので、毎回毎回とても勉強になる。
かなりアットホームな雰囲気だが・・・、とはいっても偉い先生がいるし(偉い先生がアットホームなんだけれども)、新しいメンバーも少しづつ入るので、初めから”完全にリラックス”、というわけにはいかない。
2時間半の間に、1度短い休憩が入る。
この休憩時間というのが面白くて、いつも大事な意見は休憩時間に出てしまうのだ。
席を外している間に一番重要な話が始まってしまうので、おちおちトイレにも行けない(笑)。
休憩時間というリラックスさ加減が、人の口を柔らかくするのだろう。
今日は司会の先生が
「休憩時間は大事な話するの禁止!!」
と止めたけれど、禁止するのは難しかった。
少し緊張をほぐして、自由な意見を集めたい時は、休憩を入れるのもいい手かもしれない。
私が子どもの時の習い事の話。
そろばん、4級でやめた。
習字、3級でやめた。
エレクトーン、8級ぐらいでやめた。
お絵かき、先生と志向が合わずにすぐやめた。
いろんなものをやめてきた。
実は、中学の部活も3年の6月でやめている。
でも今は、”飯を食うため”の仕事は続けている。
子どもの患者さんを診察していると、保護者が、子どもが辛くて仕方がない何かをやめさせることに強い迷いを感じていることがある。
「大人になったらそんなことはできないから。」
「一度始めたことはやりとおさなければいけないから。」
・・・そして子どもは学校に行けなくなる。
子どもは、子ども時代にいろんなことを学ぶ。
自分が心から好きと思える趣味を探すことも、自分にとってマイナスと思える何かを勇気をもってやめることも、少数派の選択をすることも。
何かをやりとおすことは確かに学ぶことの1つかもしれないけれど、なにも最も辛いことを修行僧のように続けることを学ばなくてもいいのではないだろうか。
本質的に自分に必要なことって、けっこう続けられるもんだし。