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裏日記
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高校生の時、服部君が留学先のアメリカで銃弾に倒れて以来、ハロウィンは私や同級生たちに悲しみを呼び起こす。

たぶん私が中学生ぐらいの時から、市場経済はこのイベントを日本に取り込もうとしているけれど、いつまでたってもクリスマスほどは馴染まない.
それでも10月になると街のところどころにカボチャの飾りを見つけ、毎年服部君のことを思い出して(直接のお友達ではないのです。同じ高校の同じ学年だったんです)、なんとも言えない気持ちになる。


今年は普段いいお付き合いをしているママ友から、パーティーのお誘いがあり、初めてこのイベントに参加することになった。

本場ではどんな感じか知らないけれど、日本では、仮装パーティーをして、子どもにはお菓子を配り、カボチャのおやつを食べる、という感じのイベントになっているようで、「子どもを仮装させてくるように」 と連絡があった。

大人になった私は、それはそれ、これはこれ、という防衛システムが発達していて、子どもに100均で買った黒猫の耳をくっつけてパーティーに参加した。

無邪気に写真を取り合いながら、さぞかし無邪気だったろう高校生の服部君のことに思いを馳せると、思いだすことしかしていないなぁ、私は、と、ちょっと自分にがっかりしてしまうのだった。


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私が参加しているママサークルは、T市の子育て支援センターを活動拠点にしています。

子育て支援センターに隣接した青少年センターにて、
「人権啓発研修を行うので、サークルから1人参加するように」
というお達しがあり、日頃サークルの運営にあまり協力できない私は、当日仕事が休みということがあり、立候補して参加してまいりました。


ほんとにたまたまなんですが、またしても私の”ご専門”の話でした。

前半は『アイム ヒア 僕はここにいる』という、杉浦太陽君がPDDの青年を演じた、発達障害啓発ドラマの観賞、後半はダウン症(専門ではありませんが)のお子さんを持つお母さんのお話と、親子の太鼓演奏。

太鼓もとっても良かったけど、今日はドラマの方の感想を書きます。


最初に言っておきますが、啓発ビデオとしては良くできていると思います。

PDDの青年が、周囲に理解されずに「さぼっている」「なまけている」と思われたり、子どもの頃受けたいじめのフラッシュバックをしたり…。

本人は一生懸命なんだな、応援したいな、という気持ちになるように、きちんと作られています。


それはそれとして、あえてつっこみを入れちゃおうかな~、というのが今日の私の遊び心です。

まず、太陽君演じる主人公は、PDDと診断されていましたが、明らかに特異的算数障害を合併しています。典型的です。
短いドラマの中で、あれだけの「尺」を使って算数障害のエピソードを見せておいて、診断に入れないの~!とつっこんじゃいました。


小学校時代の熱心ではあるが無理解だった担任が、研修で発達障害のことを知り、主人公のことを思い出し、意を決してすでに大人となった主人公宅をし、両親と本人に、診断や支援を勧める、というくだりがあります。

こういうこともあるんでしょうか?

再三母親を学校に呼び出し、家庭で予習復習をするように説諭していた担任と、主人公家族がよい関係を保てていることも奇跡的だし、元生徒を家庭訪問できるだけの柔軟性と勇気をもった誠実な教師が、発達障害を知らなかったとはいえ、あそこまで無理解でしょうか?

立派な先生というのは、診断があろうが無かろうが、必要に応じて個別な関わりをするように思います。

普通の先生は元生徒に家庭訪問できません。

主人公が診断を受ける前に勤めていた会社のパートのおばちゃんは、あまりに意地悪。
診断後、新しく務めたバイクショップの社長は素晴らしく理解があり、先輩たちは初めは戸惑いながらも理解しようと努力し、主人公の成長を喜びます。

この違いはどこから生じるのか、それは本人が自分の診断を周囲に伝え、こう理解してほしい、こう対応してほしいと伝えたから、という実に単純明快な回答を与えています。

そうだな~、啓発ビデオは分かりやすさが必要ですから、単純すぎるのはOKとしましょう。


みんな、自分の専門分野のドラマやらを観るときは気になることが多すぎて落ち着かないんでしょうね!
 

今日、通勤電車の中で、小1ぐらいの女の子とスーツ姿のお父さんとに隣り合わせた。

女の子はランドセルを背負っており、自宅から離れた私立小学校への通学がまだ1人では難しいのでお父さんと一緒、という感じ。

女の子はえくぼがかわいく、お父さんの足にコアラのようにつかまって、何やら一生懸命おしゃべりをしている。
こんなに小さいのに、電車で通学はかわいそうだな~、と思う私(余計なお世話だね)。

そんな中、耳に飛び込んできたのは
「グランマ」
という単語。

へー、おばあちゃんのこと「グランマ」って呼ばしてるんだ。
グランマはやっぱクッキーとか焼いてくれるのだろうか。

この呼び方、誰の意向だろう。

セレブっぽい雰囲気が好きなお母さんかな?
まだおばあちゃんとは呼ばれたくないグランマ自身?

それとも私が知らないだけで、某有名私立小学校ではこの呼び方一般的なの?


ちなみにうちの子は現在、祖父母のことを「じっちゃんばっちゃん」と呼んでいる。

前に合った時は教えられるがままに「じーちゃん」「ばーちゃん」と呼んでいたのに、その次に会ったら、2人セットで「じっちゃんばっちゃん」と呼んでいた。
私が普段、
「今度じいちゃんばあちゃんちに行くよ」
「今からじいちゃんばあちゃんに電話する?」
と、言っているからかと。

我が父は、将来的には
「じいさま」
と呼ばれたいそうだ。
イントネーションはフラットで、つまりは日本昔話みたいな感じ。決して「おじいさま」ではない。


じいちゃんは、優しくて元気な感じ。
じいさまは、優しくて物知りで、じいちゃんよりは年老いているかんじ。


言霊ってあるので、グランパはグランパらしく、じいさまはじいさまらしくなっていくこともあるかと思われ。


 

今日はホケカンの仕事が休みだったのですが、子どもは保育園に預けて、自分はリフレッシュことにしました。
リフレッシュしなければならないほどフレッシュさを失っているわけではないのですが、ホケカンは学校行事等でたまにお休みになるので、チャンスがあれば映画でも観に行ってやろう、ともくろんでいたのがようやく叶った、というわけです。


いつもよりちょっと遅めに子どもを保育園に預けてから、駅前のシネコンに行き、公開映画と時間をチェックしました。
『アリエッティ』も観たかったけど時間が合わず、3Dも観たい気がするけど『海猿』は前作をフォローできていないのし、評判の高い原作もまだ読んでいないし、金髪の妻夫木くんも気になるし、深津絵里さんのモントリオール映画祭助演女優賞受賞でニュースになっていたし、『悪人』を観ることにしました。

さあ、いかにも重たそうです。

でも私や夫は、DVDレンタルするとき「笑えるやつ」とか「軽い気持ちでみれるやつ」を選ぶ傾向があるので、こういう機会じゃなければ観ない気もするし、ちょうどいいのです。


以下完全にネタばれ感想です。
(かといってあらすじは追えません、ごめんなさい)



映画が始まってからエンドロールが流れるまで、一瞬たりともダレる瞬間なく、手に汗握りながら真剣に見ました。


主役の妻夫木くんは、いつものハンサムでもさわやかさんでもなく、全くなく、長崎の漁村で祖父母の介護をしながら青春を浪費し、出会い系に本気になってしまう不器用な青年を、不幸な幼少期を過ごし、普段は大人しいのに時に激情に駆られ、挙句の果てに殺人を犯してしまう青年を、見事に演じ切っていました。

クライマックスに、ヒロインの首を絞めるシーンがあるのですが、それは話の流れから考えれば、ヒロインが犯罪の協力者ではないことを示すための、主人公の最後の愛情表現なのでしょうが、妻夫木くんの表情が怖すぎて、
「え、もしかして快楽殺人者なの? まさかのどんでん返し??」
と思わせるだけの迫力がありました。

ヒロインの深津絵里さんは、佐賀の片田舎の国道沿いから離れられない、恋愛経験もほとんど無く、ダサい彼氏のいる妹にすら嫉妬を感じながら青春を浪費させている女性、にしては少し美しすぎて、もうちょっともっさりしていてほしかったような、でもその美しさも狭すぎる世界で何の役にも立たずに浪費していると思えば、さらに物悲しさが増すような気もします。


映像的な効果を狙っているのでしょうが、要所要所で「生魚」が出てきて、エビのワタとりだったり、魚をおろすシーンだったりが画面に映ると、その瞬間、プンと生臭さを感じて、素直な私は一層ドキドキするのでした。


あからさまな「悪人」も、考えることを避けることで結果として誰かを苦しめるような「悪人」も、とにかく悪い人がたくさん出てきます。


人を殺しちゃう主人公も、その殺人者についていっちゃうヒロインも、殺された女性も、女性を山中に置き去りにした大学生も、そのとりまきも、主人公を閉塞させる(ヘルパー代をケチって孫に介護をさせている)祖母も、主人公を捨てた母親も、お姉ちゃんが寒い中帰ってくるのが分かっているのにチェーンをして彼氏といちゃついている妹も、催眠商法をしている男も、マスコミも、友達に意見のできない友達も、みんな悪くて、悪い人ばっかりで、その中に時々見え隠れする善意のには非力さを感じさせます。


たいていの人はみんな、共感性を限定使用して生きているわけですが、映画や小説は、たいていの人が目を向けない「事情」を描いて、たいていの人がその事情を聴いて共感するように作っているものなんでしょうね。


私はヒロインのその後とかいろいろ考えちゃって、胸がシワシワするんですが、ネットでいろんな人のレビューを読んでいると、観終えてある種の希望を感じた人もいるみたいですよ。


前にも書いたかもしれないけど、作者の船戸与一さんはうちのお父さんの高校の同級生です。

そうじゃなかったらあまり読まないジャンルだったかな、と思うのですが(女性読者を寄せ付けない超ハードボイルド)、散発的に読んでます。

船戸さんの小説家人生のテーマなんでしょう、どの本も少数民族のしいたげられた歴史を綿密に取材しておられ、社会科の勉強になります。

分厚く、読むのに時間がかかる上、主人公も含めとにかくみんな死んでしまうので、読後感は最悪です。

でも、やっぱり面白いというか、脳みそがうわーっとなる感覚が味わいたくて、時々読むんです。


それにしても、『緋色の時代』は、圧倒的に読みにくかったんです。

理由はね、ロシア人の名前!
この本は、ロシアのマフィアの抗争(アフガン侵攻の退役軍人)を描いているのですが、

ただでさえ片仮名の名前は覚えにくいのに、ロシア人の名前は聞き覚えがなく、幼称やら父姓やら、1人の人を表すのに何種類も呼び名が出てきて、そして登場人物がめちゃくちゃ多いのです。

これ誰だったかな、誰だったかな、ってばっかり考えて。

そしてね、船戸小説史上一番たくさん人が死ぬ、というのも「売り」みたいで。

主要登場人物はサディストが多くて。

なんか、読んでてしんどかったです。

船戸さんの本、もっと面白い本いっぱいあるので、初めの一冊にはお勧めできません。

歴史のお勉強としては、アフガン侵攻のこととか、アメリカがアフガンに武器を大量に流入させたこととか、アフガンの中の民族対立のこととか、そういうお勉強はできました。

序章でね・・・。

あとはただただ、人が殺されていくのだもの・・・。

ああ、しんど。

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