今回のOPEはいつもよりもちょっぴり長く時間がかかり、待つ身としてはソワソワしました。
娘はぼんやりとした麻酔の抜けきらない顔で帰ってきて、ルートは足に入っていました。
両手には失敗した跡がいっぱいあって、レーザーは前回よりも少し広い範囲に当てていただいており(際の薄いところなど)、そのあたりの事情で少し長引いたんだろうなだろうな、と思いました。
自宅からの近さから、好き好んで(?)大学病院で治療しているので、指導医(一度も会っていない)、主治医(レジデント 美人女医。いやはや、ほんとに美人。でも初対面からため口)、研修医2人、と、たくさんのDr.が担当しております。
研修医の先生はまめに病室に来てくれるのはありがたいが、その度に娘が泣き叫ぶのでした。
自分も研修医時代がありました。
救急科を回っていた時、とにかくICUの患者さんのベッドサイドにくっついとけ、と言われ、真面目だった私はあたかも患者家族のように、やることなくてもただ座っていたなんてこともあるんですが、それって患者さんや家族にとってはどうだったんでしょう。
私にとってはなかなかの勉強になりましたが(経験値が上がった)。
さて、話は変わりますが、以前ブログでも報告していた「自著」、30篇ほどの下書きを終えて編集部に送り、向こうからの連絡待ちをしておりました。
6月末に連絡が来るはずだったのに、来ないなぁ、どうしたのかなぁ、と思っていたら、先週担当の方から
「シリーズの第一号が出版されたので献本します」
という連絡があり、ありがたくそれを受け取ったのとほぼ同時に、私の本の出版は無期限延期になってしまった(表現はもっとマイルドですが)という連絡が入りました。
多分ボツですな。
そのメールを読んだとき、実は私、8割ホッとして、2割残念でした。
出版社の意向とすり合わせながら文章を書き直したりする作業は大変だろうな、と思ったし、まかりまちがって売れたりしたら、患者さんやら同業者やらの目にとまり、内容によってはお叱りを受けることもあるだろうし。
でも、自分の本を出版するのは子どもの頃からの夢でもあったから、残念な気持ちはあるけど。
まんまブログに掲載しようかな、とも思ったのですが、一応「出版延期」なので、原稿はしばらくはお預けしておきます。
子どもが1歳の時に、子どものことを思いながらまじめに書いた文章は、我が家にとってはとてもいい記録になると思うので、かけた手間を悔しいとかは全然感じていません。
不思議とちっとも腹が立たない私でした。
私は母校から遠く離れて生活しているので、自分の後輩に診察してもらう機会はありませんが、研修医時代に友達になった小児科医の友人がうちの近所の医大出身なので、娘のかかりつけの小児科の先生も、形成外科のM先生も、その友人の知人です。
M先生に至っては、部活の一つ下の後輩でもあります。
で、来週末が3回目のレーザー入院(娘の単純性血管腫)なのですが、ずいぶん昔に予約を入れていたため、M先生に用事が入ってしまったらしく、別の先生にお願いしてもいいか、術前診察はいつも通り自分が担当するので、と確認の電話が入ったため了解しました。
で、予定通り先週の金曜日にM先生の診察&術前検査を終え、あとは入院を待つばかり、に思っていたら、代打で担当してくれることになったT先生から連絡が入り、入院前に一度診察をしたいから火曜日来れないか、と。
えーっ、そんな突然言われても~!
火曜日は仕事で無理なのと(だって3カ月待ちの患者さんの初診日だもん)、入院してからの診察ではいけないかと聞いたら、電話口ですごく困っている雰囲気が伝わってきたので、こちらから夕方は無理ですか?と聞いたら、別の曜日の午後を提案してもらったので、それでお願いすることになりました。
声がすごく若かったので、医局のHPで調べたところ、平成17年卒の先生でした(なんでもわかっちゃう嫌な時代ね!。
自分が卒業した時入学したのね~。
なんだかソワソワしちゃう、私。
M先生から聞いていた予定と違うのはどうしてかしら。
他の先生に、ちゃんと入院前に診察しとけと言われたのかしら。
形成のことはよくわかりませんが、単純性血管腫のレーザー治療って、たぶん手技的にはもっとも簡単な部類だろうし、レーザーの深度を決めるのとかはM先生からの指示もあるだろうし、まぁそんなソワソワすることもないか。
卒後5年目、私は研修医を3年やったので、1人主治医をするようになって2年目。
29歳!
患者さんが自分の若い見た目に不安にならないかを、不安に思っていたころ!
(今は、若く見えると言われて大喜び!)
自分が担当する患者さんに絶対損はさせたくないと思って、経験のない分は足で稼ぐぜ、と、患者さんの学校訪問やらをよくしていた時期ですなぁ…。
先輩方にもたくさんコンサルしてました。
余談ですが、先日高校生の患者さんに年を聞かれ、正直に教えたら
「予想通り!」
と言われ、内心ショックを受けました。
35歳に見えるんなら28歳ぐらいに見えると言っておけばいいものを。
社会性の訓練の一環として、こういうテクニックも教えるべきですか?
ぼんやりTVを見ていたら、研修医時代の同期が某NPO法人を立ち上げる、という話題でニュースに出ていました。性犯罪者への加害者支援のためのNPOです。
(ちなみに先日、その彼の翻訳した書籍を書店で偶然発見、購入してすぐに読みましたが、それもすごく面白かったです。)
研修医の時代から何かとスマートな彼で、別世界の住人だなぁと感じておりましたが、日々活躍を日付ているようです。
自分にはとてもできない仕事・役割を見事にこなしていく同期を、頼もしく思います。
もっと勉強すれば変わってくるのかもしれませんが、私には加害者支援、特に性犯罪にかかわった人への支援は難しいです。
なんで難しいかって、同期には怒られそうですが、まったく共感できないし、共感以前に嫌悪感があるからです。
(嫌悪感の源を分析する気はさらさらありません。)
図らずもこのひとつ前の記事で、虐待加害者となった未熟な母親をかつて出会った少女たちの姿を重ねてしまうことの対極として、
「性虐待をした親とかはシンプルに憎めるが・・・」
なんて表現をしたところです。
こんな私に性暴力の加害者支援は無理でしょう。
でもそれが必要なのは分かっているから、自分にできない仕事を同期が積み上げていくのはとてもありがたいし、その彼はとてもフラットな感覚の持ち主だったから、きっと着々と業績を積み上げていくだろうな、なんて想像をしております。
「共感性」というのも両刃の剣ですから、やたらと幅広く持っていると疲れます。
と書きながら改めて気がつきましたが、たまに世間の人々の冷たさに驚くことがあります。
たとえば発達障害、たとえば精神障害の患者さんに、ほんの少しでも関心をよせてくれたら、知識を持ってくれたら、この人の苦しみに思いを巡らせてくれたら、なんて思うのです。
でも、結局は「共感性のアンテナ」も限られた対象に向けることしか向けることができません。
世の中はたくさんの悲しみや苦しみにあふれているので、その一部にしか目を向けないことで自分の心の健康を守っているのかもしれません。
特に今トップニュースになっている、餓死した幼い2人のことを考えると、胸が張り裂けそうです。
どうか天国という場所があってほしい、あの姉弟が天国でお腹いっぱいご飯を食べて、誰かに抱きしめられていてほしい、そう願わずにはいられません。
継父が殴った、とか、性的虐待をした、というニュースを見かける、あるいはケースとして担当したときは、ほんとうに、シンプルに、純粋に、虐待をした人間を憎みます。
でも今回のように、まだ子どものような母親がキャパシティーオーバーを起こして最悪の結果に至った事件では、母親も、ついこの間まで自分の患者さんだった女の子たちと姿が重なってしまいます。
児童虐待に対して、私という個人に何ができるか考えさせられます。
前の職場では主に、児童相談所が保護した子どもの診察、治療を担当していましたが、親に働きかけるケースもありました。
今は、主に大人を診察しているので、子どものある人の場合は、虐待のことも念頭に置いて診察をするのも必要です。多くのみなさんが、持病や障害を抱えて余裕のない子育てをされています。
必要に応じて一時預かりや、一時保護など、社会資源の情報提供をしていく、場合によっては通告することもあるかもしれません。
職業人としては、強く心を保って、課せられた役割をそれなりに果たせるような気もします。
でも同じマンションの住人に児童虐待が疑われたら?、ママ友に児童虐待が疑われたら?、子どものクラスメイトが虐待されているようだったら?
前者の場合は、児相に通告をします(さっき夫と話し合いました)。
心配が続く限り、しつこく、熱心に。
後者の場合、私は仕事を離れて誰かの相談に乗ることができるでしょうか。
とかく仕事とプライベートを分けて、プライベートでは面倒に巻き込まれないように、巻き込まれないように、とリスク回避ばかりしている私ですが、そんな人ばかりだと地域はスカスカになってしまいます。
以前、どこかでも書いた気がしますが、それ以上でもそれ以下でもなく、「近所のオバハン」としての役割を果たせる人間になりたいです。
それにはまだまだ修業が必要です。
子どもを他所の軒先に捨てることさえできなかったあの母親は、もっと早い時点で一時保護や養護施設、あるいは赤ちゃんポストの話を聞いていたら、そこに頼ることはできていたのでしょうか?
出産時に配られる資料の中にはこれらの情報は書かれていますが、「情報を取りに行く」には、知恵やトレーニングが必要です。必要な家族には届かないと考えた方がいい。
子育て支援センターに行っても、利用者は上手に子育てをしていそうな人ばかり。
どうやって、メッセージを届けたらいいのか。
今回のケースは、住民票も移していなかったので、「健診に来なかった親子への電話連絡」とか、「保健師の家庭訪問」とか、セイフティーネットが使えなかったことも、不運で、悔しいです。
この番組は、私が生まれる前からやっていて、みなさんもご存知かと思いますが、時々歌のお兄さんやお姉さんが代替わりし、着ぐるみ人形劇のキャラクターも代替わりします。
今は「たくみお姉さん」「だいすけお兄さん」で、人形劇は風神雷神水神の孫という設定です。
私が子どもの頃のお兄さんとお姉さんは、残念ながら覚えていません。
着ぐるみはたぶん「狐と狸」。
ピンポンパンや、ポンキッキと記憶が混ざっているので自信がありませんが。
さて、思春期の頃の私は、何かと模索する少女でした。
意識的にも無意識的にも、個性的な誰かであるがために多少難儀な行動を起こしていたので、今思い返すと「苦笑い」な思い出も人一倍多いのです。
実は中1の時、突然「おかあさんといっしょ」にはまりました。
ちなみにその頃は、チェッカーズにそろそろ飽きてきて、バービーボーイズとか、坂本龍一にはまったり、ハリウッド映画も大好きになりました。
大人っぽい音楽を聴いたり、大人っぽい本を読むのに精を出す頃、過剰な子どもらしさをブレンドするのが、おしゃれでかっこいいとでも思っていたのでしょう。いかにもワタシらしい。
で、突如おかあさんといっしょを熱心に試聴し出したため、さぞかし親も驚いたことでしょう。
この時期は歌のお姉さんが神崎ゆう子さん、お兄さんが坂田おさむさん、ぬいぐるみは「じゃじゃ丸(猫)・ぴっころ(ペンギン)・ころり(ネズミ)」の時代でした。
その妙なブームがどのくらいの期間続いたかは覚えていませんが、その頃覚えた童謡のいくつかは、今も歌えますよ。
で、まあどっかで飽きて、「おかあさんといっしょ」のことなんてすっかり忘れて生活していましたが、最近娘が歌や踊りが大好きなので、また見るようになったのです。
そして
この度、三度目のどはまりしてしまったのです。
(三度とは、現役幼年時代、思春期模索時代、子育て時代 )
なんかね、いいんですよ、とてもいいんですよ、今の歌のお姉さんとお兄さん。
私が年をとったからかもしれないけれど、二人ともとてもかわいくて、さわやかなんです。
歌声も、お上手なのは当たり前ですが、聞けば聞くほど好きになるやさしいハーモニーなのです。
お姉さんはかわいいアイドル顔で、お兄さんは地味顔ですが、滋味あふれるのです、ってダジャレですけど、表情をころころ変えながら一生懸命歌う姿に胸打たれるのです。
娘のために?DVDももう2枚買ってしまいましたし、実は、もうすぐ大阪でコンサートがあるのですが、チケットをオークションで倍ほどの値段を払ってGETしたんですね。大人買いです。
娘のためです。
・・・うそです。
冷静に考えると、私は童謡が好きなんでしょうね。
だから、中学生の時も一時的とはいえ深くハマったんでしょうね。
童謡というか、おかあさんといっしょは、幼児向けのミュージカルなんです。
(ちなみに大学生の時も、劇団四季のCDとかよく聞いていましたが、今の歌のお兄さんは四季出身なんだそうです。)
熱しやすく冷めやすいので、この熱もいずれさめるのでしょうが、今は子どもと一緒に「おかあさんといっしょ」を視聴して、覚えた曲をお風呂や寝かしつけのときに歌うのが楽しくて仕方がないのでした。