裏日記
今日は読書感想文。
「女の子度」という尺度があるとしましょう。
生まれたての赤ちゃんをゼロとして、だんだんこの数値は上がって行き、ピークは16歳~20歳ぐらい。
ピークの値を仮に100としましょうか。
(もちろんこれは相対値で、絶対値ではありません。)
リボンやフリル、ピンク色といったかわいらしいものはもちろん女の子度を上げるアイテムですが、もっと幅広く、蛍光色もスカルもジャラジャラも、若くて溌剌とした感じのものは、女の子数値は高いです。
ファッションだけではありません。
表情やジェスチャーにこそ「女の子」はありますし、例えば話し方が子犬のようだったりするのはポイント高いです。
合コンに行くとか、男の人にちやほやされることを甘んじて受けるとか、そういう対人関係の持ち方も、相当に高ポイントとなります。
「女の子度」は生理的には16歳~20歳ぐらいがピークだとしても、社会的な状況次第ではピークが後にずれ込んだり、1度落ちたものがまた上がったり、ということはありえます。
(例えば離婚後に新しい恋をするとか。)
とはいえ、30も過ぎれば、ほとんどの人が下降の途上にあります。
願わくば緩やかであれ。
で、ありがたいのかありがたくないのか、この数値は特別な場合を除き、どんなに年を重ねても、ゼロまでは下がらないのです。
そうだなあ。80歳のお婆さんでも、30とか40の人はいるだろうなあ。
『ガール』は、30代半ばの働く女の人、もとい「女の子」を主人公にした本で、オムニバス形式なので、主人公は5話分、5人いる。
5人が5人とも、30代半ばの私から見てとてもリアルな存在で、どの女の子も私の中に一部潜んでいそうな気もして、なんで作者は50才近くもなって、こんなに私たちの世代のことがつぶさに分かるのだろうと、唸ってしまうのだ。
上に書いた「女の子度」は、本編とは直接関係ないけど、読後に私の頭に浮かんだこと。
色んな女の子度の30代半ばの女性が出てくるので。
悲しいかな、現在お母ちゃんであり、おばちゃんである私は、女の子度が激減りしている。
両立は難しいのだ。
「女の子度」という尺度があるとしましょう。
生まれたての赤ちゃんをゼロとして、だんだんこの数値は上がって行き、ピークは16歳~20歳ぐらい。
ピークの値を仮に100としましょうか。
(もちろんこれは相対値で、絶対値ではありません。)
リボンやフリル、ピンク色といったかわいらしいものはもちろん女の子度を上げるアイテムですが、もっと幅広く、蛍光色もスカルもジャラジャラも、若くて溌剌とした感じのものは、女の子数値は高いです。
ファッションだけではありません。
表情やジェスチャーにこそ「女の子」はありますし、例えば話し方が子犬のようだったりするのはポイント高いです。
合コンに行くとか、男の人にちやほやされることを甘んじて受けるとか、そういう対人関係の持ち方も、相当に高ポイントとなります。
「女の子度」は生理的には16歳~20歳ぐらいがピークだとしても、社会的な状況次第ではピークが後にずれ込んだり、1度落ちたものがまた上がったり、ということはありえます。
(例えば離婚後に新しい恋をするとか。)
とはいえ、30も過ぎれば、ほとんどの人が下降の途上にあります。
願わくば緩やかであれ。
で、ありがたいのかありがたくないのか、この数値は特別な場合を除き、どんなに年を重ねても、ゼロまでは下がらないのです。
そうだなあ。80歳のお婆さんでも、30とか40の人はいるだろうなあ。
『ガール』は、30代半ばの働く女の人、もとい「女の子」を主人公にした本で、オムニバス形式なので、主人公は5話分、5人いる。
5人が5人とも、30代半ばの私から見てとてもリアルな存在で、どの女の子も私の中に一部潜んでいそうな気もして、なんで作者は50才近くもなって、こんなに私たちの世代のことがつぶさに分かるのだろうと、唸ってしまうのだ。
上に書いた「女の子度」は、本編とは直接関係ないけど、読後に私の頭に浮かんだこと。
色んな女の子度の30代半ばの女性が出てくるので。
悲しいかな、現在お母ちゃんであり、おばちゃんである私は、女の子度が激減りしている。
両立は難しいのだ。
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前回ちょっとシリアスな話を書いてしまったので、今日は息を抜いて自宅の構造化の話をします。
ちゃむちゃんはどうやらとても好奇心が強い子みたいです。
新しいものを目ざとく見つけ、なんとかそこにたどり着きたいと、寝返りもできないうちから背中で這って進み、7ヶ月になった今は、ずりばいでまっしぐらです。
ちゃぶ台の上にあるものはぜひ見てみたいらしく、先日ペットボトルをはたき落して、お茶をかぶってキョトンとしていたので、私はぎょっとしました。
ちゃむちゃんが事故にあわないように構造化せねば…。
ここで言う構造化とは
「大人が見張っていなくても、赤ちゃんが”のびのび”と”安全”に過ごせるように、自宅に施した工夫」
のことです。
我が家の工夫を紹介します。
1:ザ・巨大ベビーゲート
うちはTVボードが大きくて、角がとがっていて危ないし、ちゃむには触ってほしくない機械類(コンポとかDVDとか)もごっそり入っているので、思い切ってベビーゲートで覆っちゃいました。
高さも80cmほどあるので、大人も多少不便ですが、安全には変えられないのでそこは我慢です。
2:ちゃぶ台よさようなら
我が家ではほとんどの食事をちゃぶ台でする習慣がありましたが、ちゃむが手を伸ばすようになったので危なくなってしまいました。しかも私の性質上(ぐうたら)および夫の性質上(遊び食べ)、食事が終わった後にすぐ食器を片付けることが難しいので、なるべくテーブルで食事をしよう、と努力しましたが、ちゃぶ台があるとついつい使いたくなるので、片付けちゃいました。
3:死角を減らせ!
私は食卓テーブルでパソコンを使うことが多いのですが、そこから部屋全体を見渡して、死角が極力少ないようにしました。
具体的には、4人がけのテーブルの一辺を壁(正確に言うとカウンター)にくっつけ、椅子は2脚だけを横に並べて使うようにしました。
4:便利な道具を使え!
家具の角を市販グッズで覆ったり、ゴミ箱はフタつきのものに代えたりしました。
子どもの安全のために、四六時中子どもを見張っているのは大変なことです。
そこで構造化で解決できやしないかと考えてみるわけです。
うまくいくと、しめしめ、お互い楽ができたわい、と自己満足に浸ります。
そうそう、おむつグッズをかごにまとめているのですが、そこにオムツかぶれの薬も入れてたんだけど、ちょうど誤嚥が怖いサイズで、ちゃむがかごを触るといつも取り上げていました。
ふと気づいて、薬は別の場所に保管したら、ちゃむが遊びだしても自由にさせておけるようになって、お互い幸せになりました。
こんな簡単な工夫なのに、気づくまでに一ヶ月ぐらいかかっちゃった。
構造化はコロンブスの卵だったりもする。
ちゃむちゃんはどうやらとても好奇心が強い子みたいです。
新しいものを目ざとく見つけ、なんとかそこにたどり着きたいと、寝返りもできないうちから背中で這って進み、7ヶ月になった今は、ずりばいでまっしぐらです。
ちゃぶ台の上にあるものはぜひ見てみたいらしく、先日ペットボトルをはたき落して、お茶をかぶってキョトンとしていたので、私はぎょっとしました。
ちゃむちゃんが事故にあわないように構造化せねば…。
ここで言う構造化とは
「大人が見張っていなくても、赤ちゃんが”のびのび”と”安全”に過ごせるように、自宅に施した工夫」
のことです。
我が家の工夫を紹介します。
1:ザ・巨大ベビーゲート
うちはTVボードが大きくて、角がとがっていて危ないし、ちゃむには触ってほしくない機械類(コンポとかDVDとか)もごっそり入っているので、思い切ってベビーゲートで覆っちゃいました。
高さも80cmほどあるので、大人も多少不便ですが、安全には変えられないのでそこは我慢です。
2:ちゃぶ台よさようなら
我が家ではほとんどの食事をちゃぶ台でする習慣がありましたが、ちゃむが手を伸ばすようになったので危なくなってしまいました。しかも私の性質上(ぐうたら)および夫の性質上(遊び食べ)、食事が終わった後にすぐ食器を片付けることが難しいので、なるべくテーブルで食事をしよう、と努力しましたが、ちゃぶ台があるとついつい使いたくなるので、片付けちゃいました。
3:死角を減らせ!
私は食卓テーブルでパソコンを使うことが多いのですが、そこから部屋全体を見渡して、死角が極力少ないようにしました。
具体的には、4人がけのテーブルの一辺を壁(正確に言うとカウンター)にくっつけ、椅子は2脚だけを横に並べて使うようにしました。
4:便利な道具を使え!
家具の角を市販グッズで覆ったり、ゴミ箱はフタつきのものに代えたりしました。
子どもの安全のために、四六時中子どもを見張っているのは大変なことです。
そこで構造化で解決できやしないかと考えてみるわけです。
うまくいくと、しめしめ、お互い楽ができたわい、と自己満足に浸ります。
そうそう、おむつグッズをかごにまとめているのですが、そこにオムツかぶれの薬も入れてたんだけど、ちょうど誤嚥が怖いサイズで、ちゃむがかごを触るといつも取り上げていました。
ふと気づいて、薬は別の場所に保管したら、ちゃむが遊びだしても自由にさせておけるようになって、お互い幸せになりました。
こんな簡単な工夫なのに、気づくまでに一ヶ月ぐらいかかっちゃった。
構造化はコロンブスの卵だったりもする。
最近、脳死をめぐる問題がまたメディアをにぎわせている。
いろんな人の意見を耳にしたけれど、私が一番納得したのは、
「日本人の死生観はそれぞれだから、ルールを緩やかにして、提供したい人はそれが選べて、提供したくない人もそれが選べるのが一番じゃないかな」
と、どこかのDrが言っていたもの。
死生観がそれぞれ。
私は学生のころから「臓器提供意思表示カード」を持ち歩いていたけれど(当時は脳死状態の体は物体だと思っていたので)、結婚後、夫が納得していないことを知って、やぶって捨てた。
実は先日義父が亡くなった。
あまりにも急なことで、誰も心の準備なんてないし、誰も実感なんてわかない。
それでもぼーっとはさせてもらえなくて、役所に行って、葬儀社に電話して、次々とタスクをこなしさなければならない。
私は喪主である夫をサポートするために、彼の行動を見守っていた。
夫は、何度も義父の顔を見たり、何度も義父の体に触れて、亡くなった事を確認していた。
そして、通夜のときも、葬儀の最中も、「この辺に親父がいるような気がする」と、空を指していた。
普段は意識化なんてしないけど、私の夫にとっての死とは、魂が体から抜け出して、体は冷たくなっていくことなんだな、「あの世」はちゃんと存在して、亡くなった人は「この世」を見守っているんだな、ということが分かった。
臓器提供をされれば救われる命があること、それは重々承知の上で、死という最もプライベートで大切な機会は、残された家族のために使いたい。
私はそんな理由で、脳死状態になった時に臓器提供をするのは止めた。
人生長いですから、これから意見が変わることももちろんあるでしょう。
いろんな人の意見を耳にしたけれど、私が一番納得したのは、
「日本人の死生観はそれぞれだから、ルールを緩やかにして、提供したい人はそれが選べて、提供したくない人もそれが選べるのが一番じゃないかな」
と、どこかのDrが言っていたもの。
死生観がそれぞれ。
私は学生のころから「臓器提供意思表示カード」を持ち歩いていたけれど(当時は脳死状態の体は物体だと思っていたので)、結婚後、夫が納得していないことを知って、やぶって捨てた。
実は先日義父が亡くなった。
あまりにも急なことで、誰も心の準備なんてないし、誰も実感なんてわかない。
それでもぼーっとはさせてもらえなくて、役所に行って、葬儀社に電話して、次々とタスクをこなしさなければならない。
私は喪主である夫をサポートするために、彼の行動を見守っていた。
夫は、何度も義父の顔を見たり、何度も義父の体に触れて、亡くなった事を確認していた。
そして、通夜のときも、葬儀の最中も、「この辺に親父がいるような気がする」と、空を指していた。
普段は意識化なんてしないけど、私の夫にとっての死とは、魂が体から抜け出して、体は冷たくなっていくことなんだな、「あの世」はちゃんと存在して、亡くなった人は「この世」を見守っているんだな、ということが分かった。
臓器提供をされれば救われる命があること、それは重々承知の上で、死という最もプライベートで大切な機会は、残された家族のために使いたい。
私はそんな理由で、脳死状態になった時に臓器提供をするのは止めた。
人生長いですから、これから意見が変わることももちろんあるでしょう。
子ども時代の体験って思わぬ形で生活に入り込んでくるなーっと実感した話です。
うちの娘の寝顔が、あまりにもお地蔵さんにそっくりなので、ネットでお地蔵さんについて調べたりしていました。
お地蔵さんって何なのか、とか、おうちに飾るかわいいお地蔵さんはないかな、とか。
で、3000円ぐらいで買える焼き物のお地蔵さんを見つけて、夫に見せました。私はテンション高くって
「かわいいねぇ。ちゃむちゃんそっくりだねぇ。でも買わないねぇ。」
などと言っておったら、夫の反応がよろしくない。
そんな夫を無視してさらにかわいいお地蔵さんを探していると、5万円くらいで石を彫ってくれる、本格的な通販サイトを発見する私。
これがまた、うちのちゃむちゃんにそっくりなんだわ!
(これは名古屋弁の語尾の「だわ」 語感を強調をします。
このお地蔵さんに興味があれば→ http://www8.ocn.ne.jp/~jizou/shouhin.html )
で、またしても夫を呼びつける。
夫はいよいよ表情が曇り、
「何か怖くない?」
と。
私は日本人っぽい”なんとなくの宗教観”を持っていて、八百万の神に近い感覚で、厳かなものとか、古いものとか、壮大なものとか、大事にしているものに対して、敬ったり恐れたりする気持ちがあるので、そういうことかな、と思って
「そりゃあ、買ったら大事にしなきゃいけない感じはするよね」
と返事をすると、やっぱり反応がよろしくない。
「あ、思い出した!」
夫の思い出したエピソードは、夫が子どものころ、ご病気をされたお母さんのことをお地蔵さんにお祈りして、それをおばあさんに報告したら、
「悪いものが取り付く!」
と激しく叱責され、お払いされた、という辛いもの。
おばあさんは某宗教を信仰していたみたい。
子どもの純粋な気持ちで、愛する人のことを一生懸命お祈りしたのに、それを頭ごなしに否定されて辛かったろうし、さぞかし不安だったことでしょう。
おばあさんも悪気は全くなかっただろうから、誰をどう責めることもできない話。
そんなわけで、またしてもフタした夫の記憶をほじくりかえしてしまった私。
悪いことをしたな、と思うのですが、正体が分かれば気にならなくなるような気がするのです。
これを機にお地蔵さんが怖くなくなれば、トラウマワークになったのかな、なんて。
でも、生活に支障のないフタを外す必要は一切ナシ。またフタするもよし。
うちの娘の寝顔が、あまりにもお地蔵さんにそっくりなので、ネットでお地蔵さんについて調べたりしていました。
お地蔵さんって何なのか、とか、おうちに飾るかわいいお地蔵さんはないかな、とか。
で、3000円ぐらいで買える焼き物のお地蔵さんを見つけて、夫に見せました。私はテンション高くって
「かわいいねぇ。ちゃむちゃんそっくりだねぇ。でも買わないねぇ。」
などと言っておったら、夫の反応がよろしくない。
そんな夫を無視してさらにかわいいお地蔵さんを探していると、5万円くらいで石を彫ってくれる、本格的な通販サイトを発見する私。
これがまた、うちのちゃむちゃんにそっくりなんだわ!
(これは名古屋弁の語尾の「だわ」 語感を強調をします。
このお地蔵さんに興味があれば→ http://www8.ocn.ne.jp/~jizou/shouhin.html )
で、またしても夫を呼びつける。
夫はいよいよ表情が曇り、
「何か怖くない?」
と。
私は日本人っぽい”なんとなくの宗教観”を持っていて、八百万の神に近い感覚で、厳かなものとか、古いものとか、壮大なものとか、大事にしているものに対して、敬ったり恐れたりする気持ちがあるので、そういうことかな、と思って
「そりゃあ、買ったら大事にしなきゃいけない感じはするよね」
と返事をすると、やっぱり反応がよろしくない。
「あ、思い出した!」
夫の思い出したエピソードは、夫が子どものころ、ご病気をされたお母さんのことをお地蔵さんにお祈りして、それをおばあさんに報告したら、
「悪いものが取り付く!」
と激しく叱責され、お払いされた、という辛いもの。
おばあさんは某宗教を信仰していたみたい。
子どもの純粋な気持ちで、愛する人のことを一生懸命お祈りしたのに、それを頭ごなしに否定されて辛かったろうし、さぞかし不安だったことでしょう。
おばあさんも悪気は全くなかっただろうから、誰をどう責めることもできない話。
そんなわけで、またしてもフタした夫の記憶をほじくりかえしてしまった私。
悪いことをしたな、と思うのですが、正体が分かれば気にならなくなるような気がするのです。
これを機にお地蔵さんが怖くなくなれば、トラウマワークになったのかな、なんて。
でも、生活に支障のないフタを外す必要は一切ナシ。またフタするもよし。
すごくいい本を読んだので紹介します。
『ビッグTと呼んでくれ』 K.L.ゴーイング著
この本は図書館で借りたんだけど、とにかく表紙のパンチが効いていて、赤をバックに、太った男の子が両手を差し伸べて大声で叫んでいるのが裏表紙とぶち抜きの絵でドーン、です。
ジャケ買いならぬジャケ借り。
↓以下ネタばれになります↓
17歳で身長184cm、体重135kgのおデブな男の子トロイが、地下鉄に飛び込んじゃおっかな~、と思っているところから話は始ります。
トロイは太ってすぐ汗をかいて、すぐ息が上がっちゃう自分を、みんなが笑っている、と思い込んでいます。
父親はは元軍人でとても正しく厳しい人、弟はスポーツマンで、トロイを馬鹿にしきっています。
そんなトロイに地下鉄の駅で声をかけたのがカート。
カートはカリスマパンクギタリストで、トロイの学校では伝説の人です。家に帰らずに浮浪していて、かなりのジャンキーです。
カートはなぜかトロイを自分のバンドのドラマーに任命。生まれて初めて「ビッグT! 」なんてニックネームで呼ばれたもんだから、トロイは舞い上がってしまい、何がなんだか分からないうちにカートのペースに巻き込まれていき・・・
この本はトロイの視点で進むのだけど、トロイはカートと出会い、パンクと出会うことで成長し、母親を癌で亡くした悲しみから食べることに逃げていたこと、結果太ってしまったことでどんどん自意識過剰になっていったことに気づいていきます。
そして、カリスマパンクロッカーであるカートも実は実母と義父に虐待を受け、とても傷ついた少年であることを理解し、物語終盤では、トロイが救いの手を差し伸べるまでになります。
手垢のついた「癒しの物語」と違うところは、
トロイがものすごくデブでキャラがたってること
初ライブは緊張のあまりゲロを吐いて逃げ出しちゃうのに客はうけているなど、何かとパンクなところ
カートは救いの手をまだ握れていないこと
実は弟も傷ついた少年ということが物語の最後に分かるけど、トロイと同時に読者も初めて気づくこと
など。
一応児童書なのですが、中学生以上老人まで楽しめる本です。
『ビッグTと呼んでくれ』 K.L.ゴーイング著
この本は図書館で借りたんだけど、とにかく表紙のパンチが効いていて、赤をバックに、太った男の子が両手を差し伸べて大声で叫んでいるのが裏表紙とぶち抜きの絵でドーン、です。
ジャケ買いならぬジャケ借り。
↓以下ネタばれになります↓
17歳で身長184cm、体重135kgのおデブな男の子トロイが、地下鉄に飛び込んじゃおっかな~、と思っているところから話は始ります。
トロイは太ってすぐ汗をかいて、すぐ息が上がっちゃう自分を、みんなが笑っている、と思い込んでいます。
父親はは元軍人でとても正しく厳しい人、弟はスポーツマンで、トロイを馬鹿にしきっています。
そんなトロイに地下鉄の駅で声をかけたのがカート。
カートはカリスマパンクギタリストで、トロイの学校では伝説の人です。家に帰らずに浮浪していて、かなりのジャンキーです。
カートはなぜかトロイを自分のバンドのドラマーに任命。生まれて初めて「ビッグT! 」なんてニックネームで呼ばれたもんだから、トロイは舞い上がってしまい、何がなんだか分からないうちにカートのペースに巻き込まれていき・・・
この本はトロイの視点で進むのだけど、トロイはカートと出会い、パンクと出会うことで成長し、母親を癌で亡くした悲しみから食べることに逃げていたこと、結果太ってしまったことでどんどん自意識過剰になっていったことに気づいていきます。
そして、カリスマパンクロッカーであるカートも実は実母と義父に虐待を受け、とても傷ついた少年であることを理解し、物語終盤では、トロイが救いの手を差し伸べるまでになります。
手垢のついた「癒しの物語」と違うところは、
トロイがものすごくデブでキャラがたってること
初ライブは緊張のあまりゲロを吐いて逃げ出しちゃうのに客はうけているなど、何かとパンクなところ
カートは救いの手をまだ握れていないこと
実は弟も傷ついた少年ということが物語の最後に分かるけど、トロイと同時に読者も初めて気づくこと
など。
一応児童書なのですが、中学生以上老人まで楽しめる本です。
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