忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT
裏日記
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

最近、脳死をめぐる問題がまたメディアをにぎわせている。

いろんな人の意見を耳にしたけれど、私が一番納得したのは、

「日本人の死生観はそれぞれだから、ルールを緩やかにして、提供したい人はそれが選べて、提供したくない人もそれが選べるのが一番じゃないかな」
と、どこかのDrが言っていたもの。


死生観がそれぞれ。


私は学生のころから「臓器提供意思表示カード」を持ち歩いていたけれど(当時は脳死状態の体は物体だと思っていたので)、結婚後、夫が納得していないことを知って、やぶって捨てた。


実は先日義父が亡くなった。
あまりにも急なことで、誰も心の準備なんてないし、誰も実感なんてわかない。

それでもぼーっとはさせてもらえなくて、役所に行って、葬儀社に電話して、次々とタスクをこなしさなければならない。

私は喪主である夫をサポートするために、彼の行動を見守っていた。

夫は、何度も義父の顔を見たり、何度も義父の体に触れて、亡くなった事を確認していた。

そして、通夜のときも、葬儀の最中も、「この辺に親父がいるような気がする」と、空を指していた。

普段は意識化なんてしないけど、私の夫にとっての死とは、魂が体から抜け出して、体は冷たくなっていくことなんだな、「あの世」はちゃんと存在して、亡くなった人は「この世」を見守っているんだな、ということが分かった。

臓器提供をされれば救われる命があること、それは重々承知の上で、死という最もプライベートで大切な機会は、残された家族のために使いたい。

私はそんな理由で、脳死状態になった時に臓器提供をするのは止めた。


人生長いですから、これから意見が変わることももちろんあるでしょう。

PR
≪  129  128  127  126  125  124  123  122  121  120  119  ≫
HOME
Comment
お悔やみ申し上げます。
死生観は本当に多様ですよね。
まだいそうな気がするというのは自然な反応のような気がします。
そして脳死も臓器移植も「子供からみた母親」や「妻からみた自分」といろいろな要素が増えますね。

死にゆく患者の家族の気持ちはどんなだろうかと考える今日この頃です。
oku 2009/05/21(Thu)22:41:13 編集
「死」って
私は先日、「義母になる方」を亡くしました。
彼にとって「母」は特別な存在だったらしく、想像していた以上に悲しむ彼を見ました。
突然のことで親族に連絡をとり、葬儀の手配をし、来てくださった方に挨拶をし、役割をこなしながらも、「がんばらないから」と言って、「悔い」を言葉に出し、涙を流していました。
頭では分かっていてもどうしようもない「悲しみ」の感情を言葉にすることで少し楽になるのかと。

とりとめのないコメントでした・・・。
yurika 2009/06/01(Mon)11:59:56 編集
無題
OKUさま
コメントありがとう。家族が増えたり減ったりして、いろいろ考えさせられました。ほんまに。
Yurikaさま
そうでしたか…。まだお若いですよね。
心よりお悔やみ申し上げます。
うちの夫はかなりへこんでいます。実は2週間前ぐらいは、このままデプるかも、と思ったぐらいでした。
支えてあげなきゃ、と思って、今は私が安定するように心がけています。
nyamu 2009/06/01(Mon)23:25:21 編集
この記事にコメントする
お名前:
URL:
メール:
文字色:  
タイトル:
コメント:
パス:
Trackback
この記事にトラックバックする:
≪  129  128  127  126  125  124  123  122  121  120  119  ≫
HOME
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新TB
プロフィール
HN:
ニャム
性別:
女性
職業:
とある専門職
趣味:
読書とブログ
自己紹介:
なるべく前向きな人生を探ります。
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]