時どき発作的に子どもがほしくなるのだけど、よくよく考えてペンディングする、というのをこの3年ぐらい繰り返しているような気がする。
たぶん世の中の皆様は、子どもがいるか否かよくよくも考えないのではないかと思う。
不安な要素は大きい。
親元を離れて夫婦二人きり、しかも夫は仕事が人一倍忙しく、私も男職場で働いている。仕事のためにキャリアをあきらめられるか?
経済的には大丈夫か?
親子といえども気が合うとは限らない。さまざまな悲惨な例ばかりをみる日常。(仕事柄)
夫とはうまくいっている。子供は夫との関係の不確定要素。
大丈夫か、地球? というでかい不安。
一方、子どもがほしいという感覚は、理性とはかけ離れている。つきつめて考えれば、抱っこしたいとかにおいをかぎたいとかいう文字どおりの感覚レベル。
感覚を信じて突っ走って、あとはどうにでもしてしまえばいいような気もしてきた。
子どもがいるというのは、最優先が入れ替わるということだ。
最優先が入れ替わるということは、人生が大きく変わることだと思う。
充実した人生という点においては、貪欲でありたいと思っている。
それは子供がいようがいまいが一緒だ。
現実的には当直医師の「給食」状態の病院も多い。
うちの病院のばあい、検食簿の書き方は、二手に分かれている。
A群:「おいしい」とだけ書く。これは労力をセーブしている人たち。
B群:グルメレポーターばりの鋭いひと言を書く。余暇活動の一種??
(当然の如くA群>B群)
グルメレポートは面白いよ。
「焼き肉は塩辛かった。しかしそれもよし」
「栗ご飯に季節を感じる」
「食材に赤があればより華やかに」
などなど。
私も、グルメリポートの方に入ってる。
あ、別にうちの病院の食事はおいしくはないよ。
でもまあ、まずくはないな。
おいしくもなくて、すごくまずくもないものをレポートするところに醍醐味あり。
今日は「休日スイッチ」が入っていて体が動かないのでずっと寝ていました。
週末にもう1度お休みがあるので、その時掃除洗濯すればいいか、と思うと、家のこともままなりません。
私は研修医の時に流行性角結膜炎(疑い)で仕事を休んで以来、病気で仕事を休んだことがありません。子どもの頃はしょっちゅう学校を休んでいたことに比べると、驚くほどの健康振りです。
私に備えられた「休日スイッチ」がこの健康を支えているに違いありません。
精神的健康のためには、休日スイッチにポジティブな意味づけをして、長所として受け入れることと、スパイスには多少の外出も必要です。
「ポジティブな意味づけ」と書き込みながら、そうそう私っていつもいろんなこと言語化するんだよね、と思いました。自分が楽になるように理屈をつけるというか。
理屈は後付することが多いんだけど、そういうことって自然な状態でみんなはどれくらいするんだろうか。
精神科の勉強をしていると、こういうテクニックってストレスマネージメントの一種として出てくるのです。
私の場合、社会人一年生が精神科医師一年生と重なっているから、人として成長していく過程の仲に、こういう患者さんに教えるためのテクニック的なものが組み込まれているんだよね。
だから、もともとなのか、あとから学習したのか、もはや分からなくなっているのです。
過去を振り返ると、振り返るたびに記憶は作り変えられるからねぇ。自分の記憶は当てになりません。
それでもあえて振り返ると、やっぱり何かしら意味づけしながら生きてきたような気がするのです。
大学生の時は意味づけするにしても、もうちょっと文学的というか、美しい意味をつけようとしていたような気がして、それはストレスをあまり減らしてくれないんだよな。今は、自分が生きていくのに楽になるような意味づけをすることには長けてきている。
さすが大人?
一週間「児童精神医学漬け」だったけど、やっぱりこの分野は楽しいなぁ、と思った。
学会や研修に出かけていくことで、自分がUPDATEした安心感も得た。
自分のこの分野、とくに発達障害に関する臨床は、よき師匠に鍛えられたため、もうちょっと自信を持っていいのではないかな、と思った。
学会での話題はPDDのことばかり。世間及び業界の関心の高さがうかがえる。5年後10年後はどんな形になっているのだろうか?想像すらつかない。
2年後のうちらの学会の時には大きな変化はないと読んでるけどね。
今の病院では自分にみそっかす意識が強く、新しいことに手をつける前にまず目の前のことを頑張らなければ、と思うあまり、あんまり目標を整理してこれなかった。
でも今までの経験と現在の臨床をうまくリンクさせていくことが、自分の自信にもつながるし、デカイことを言えば日本の医療に貢献するってもんだろぅ。
A病院精神科救急を訪れるPDD:現状分析
一般精神科医と児童精神科の勉強会についての報告
これは学会で報告するつもり。
今からなら前向き調査できるなぁ。
重たい患者さんがたくさん入院している中、次々に新しい患者さんが入院するので、毎日ベットコントロールが大変です。
精神科のベットは、保護室・観察室・普通の1人部屋・大部屋とあって、患者さんの精神状態によってお部屋を使い分けるのです。
重症な患者さんをできればゆっくり保護室で様子を見たくても、もっと重い人が来たら明け渡さなければなりません。毎日トリアージトリアージ。
うちは入院を断らない病院で、それはすごい社会的な意義があることだけど、現場は大変です。
精神科救急の基幹病院としてシステムが出来上がると、システムにタダ乗りする人々もおります。
いままで何とか外来患者さんは自分の病院に入院させていた他所の病院も、「満床だからそちらでヨロシク」とシステムによっかかっちゃうし、いままで何とか昼間に入院病院を探していたクリニックも「夜になったら無条件でA病院が入院させてくれるから」と、病院探しをサボる。
うちの病院には毎日毎日新しい患者さんが入院して、医者はみんな残業です。
社会的意義の部分はモチベーションを支えるけど、タダ乗りされると腹が立ちます。