今日は「休日スイッチ」が入っていて体が動かないのでずっと寝ていました。
週末にもう1度お休みがあるので、その時掃除洗濯すればいいか、と思うと、家のこともままなりません。
私は研修医の時に流行性角結膜炎(疑い)で仕事を休んで以来、病気で仕事を休んだことがありません。子どもの頃はしょっちゅう学校を休んでいたことに比べると、驚くほどの健康振りです。
私に備えられた「休日スイッチ」がこの健康を支えているに違いありません。
精神的健康のためには、休日スイッチにポジティブな意味づけをして、長所として受け入れることと、スパイスには多少の外出も必要です。
「ポジティブな意味づけ」と書き込みながら、そうそう私っていつもいろんなこと言語化するんだよね、と思いました。自分が楽になるように理屈をつけるというか。
理屈は後付することが多いんだけど、そういうことって自然な状態でみんなはどれくらいするんだろうか。
精神科の勉強をしていると、こういうテクニックってストレスマネージメントの一種として出てくるのです。
私の場合、社会人一年生が精神科医師一年生と重なっているから、人として成長していく過程の仲に、こういう患者さんに教えるためのテクニック的なものが組み込まれているんだよね。
だから、もともとなのか、あとから学習したのか、もはや分からなくなっているのです。
過去を振り返ると、振り返るたびに記憶は作り変えられるからねぇ。自分の記憶は当てになりません。
それでもあえて振り返ると、やっぱり何かしら意味づけしながら生きてきたような気がするのです。
大学生の時は意味づけするにしても、もうちょっと文学的というか、美しい意味をつけようとしていたような気がして、それはストレスをあまり減らしてくれないんだよな。今は、自分が生きていくのに楽になるような意味づけをすることには長けてきている。
さすが大人?
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