自分は仕事が好きだし、もともと真面目な性格もしているから、仕事に分類されたことに対しては、社会人として求められているラインは超えていると思う。
しかも「ひらり」と超えていると思う(と信じてる)。
でも仕事以外のことに関しては、ぐうたらだ。
例えば、23日に提出しておかなければならなかった「印鑑証明」を、まだ取りに行ってもいない。幸い私の住んでいるT市は土曜日にもOKなので、今日は何としてももらいに行かなければならない。でも、印鑑証明を発行するカードが家に2枚あって、どっちが私のかは分からないという、もう1こ超えなければならないハードルがある。
仕事の一環として参加している、やたらと忙しくなってきたユースサービスの委員会。「社会参加は仕事のみ」の私としては、最近の若者話=耳の痛い話だ。
例えば最近の大学生は「市長って誰?」という感じだ、もっと政治にも興味をもってもらわないと、なんて話しがでる。
「よかった。市長の名前ぐらいは私知ってる。え、違う!!Mは職場のK市の市長やん。T市の市長は知らんわ。」と、背中に冷たい汗が。
因みに今HPで調べたら、市長はOさん。名前にはちゃんと見覚えがある。要は、情報自体には接しているが、大事な情報として分類されていないから、頭の中に使える形で入っていないのだ。
ほんとに、仕事がらみでしか社会参加出来ていないんだなあ、と思う。
私は仕事がなくなると、社会から切り離されてしまうタイプなんだなあ、とも思う。
患者さんを療養のために仕事を休ませるのは必要なことだけど、ちゃんと社会参加の機会を探らないと、自己評価が下がりそうだよね。
もちろん、段階的に!!!だし、どこをゴールにするかもケースバイケースだけど。
ある人には頑張れと言い、あるひとには頑張るなと言う。
それが臨床ってヤツです・・・。
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