明日、イギリスから偉い先生を講師に招いての講演会がある。
講師の先生は昨日日本に着いて、今日は観光と打ち合わせ。
私はスライドの翻訳に協力したのだが、明日はのっぴきならない用事があって、残念ながら講演会自体は聞きに行くことができない。
BOSS(←翻訳協力の仕事をふってきた)に
「せっかく協力したんだし、何か先生とご一緒できる機会があれば参加したい」
と頼んでみたところ、今日の観光に便乗させてくれることになった。
私は、スライド以外にもその先生の論文を2編翻訳していた(その仕事もBOSSから降ってきた)。英語は苦手だから(苦手でも翻訳するんだから変な話だけど、医者の業界ではありふれた話)翻訳するとなると、なんというか「身も心も論文にささげた状態」になるので、勝手に「もはや先生とは他人ではない」気分だったし、今日はとても楽しみにしていた。
で、実際楽しかったのだけど、ちょっと大変だったのでそれを報告しようとおもう。
まずは料亭で昼食をとり、その後近くのお寺を見に行くというプランだった。
とにかく、みんな無口で困った・・・。みんな黙って食事をするのだ。
我が家は全員おしゃべりだし、お客さんにひっきりなしに話しかけてこそ接待、というところもあるから、こんなに食事中シーンとなることはないのだ。
私は先生とは初対面だし、年も全然離れているし、ブロークンな英語でガンガン話しかけるのはちょっと…、という雰囲気だった。
BOSSと心理士さんが日本語でぼそぼそっと話す以外、あまり声がしないのだ。2人とも英語はなせるんだし、客がイギリス人なのになんで日本語でしゃべるの!と思うけど、一番英語ができない私が話題を翻訳するのも変な話だし。
しかたなく私も黙ってしまう。
「あああもう。シーンとすると霊が通るんだぞ!」
と、子どもの頃に流行った都市伝説(?)を思い出しつつ、無口に身悶えていると、BOSSが途中で
「この子は静かなのが嫌いでね」
と、話題を振ってくれた。
BOSSは私が”寝ている相手にも話し続ける”と疑っていたことがあるくらい、私のことをおしゃべりだと思っている。おしゃべりなのは否定しないけど、寝ている相手には話しかける必要がないから話さない。
場がシーンとしていることに耐えられないから、とにかく誰かが話しているとホッとするのだ。
仲のいい友達なら、黙っていても平気だが、今日みたいにお客さんを迎えたときや、まだそこまで親しくない人といる時の沈黙に対しては、恐怖すら感じる私であった。
観光になると、”歩く”という動きがあるので、シーンとしているのも比較的平気。
寺ではしばらく座って休憩したけれど、「蝉の声を聞いているんだろう」と、これまたシーンとしているのが比較的平気(イギリスの蝉は日本の蝉ほど大きい声で鳴かないんだってさ)。
でも、食事中だけはシーンとするのが耐えられないのだ~~!!!
Gaoさん、私はかなりおしゃべりよ。でもうちは親兄弟、血の繋がらない夫の一族までもおしゃべりなので、家族文化の中では私はふつうなんだけどね。
昨日はその「のっぴきならない用事」の後、打ち上げがあったけど、他の人がたくさんしゃべっていたので、まあまあ静かにしてましたよ♪(変なアピール。。。)
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