非常に珍しい経験をした。
京都は嶋原の輪違屋という置屋で、太夫さんにお酌をしてもらったのだ!
ああいうお店は値段の見当も付かないし、そもそも「一見さんお断り」なので自分とは関係のない世界だと思っていたけれど、縁があって、随分年配の先生方(軽く70越え)と、ご一緒させてもらった。
女将さんに聞いたり、Wikipedia等で調べた知識を私なりに消化した形で、太夫さんとはどんなものか説明しておく。
芸事を見せながら性的なサービスをする女性たちの、吉原での最高位は「花魁」。ビジュアル的には日本人だったら大体共有で着ていると思うけど、ものすごい量のかんざしをさした大きな日本髪、ど派手な着物に正面で結った帯、尋常ではない高さの下駄。
太夫は嶋原(京都)の最高位だが、花魁とは違うらしい。私は素人なので、見た目は上記とほぼ同じに感じたが、女将さんの説明によると、襟の降り方や帯の締め方が違うらしい。
最大の違いは、当時性的なサービスをしなかったことだろう。
御所の中で、お宮さんの遊び相手(芸事を見せたり、貝あわせや蹴鞠したり)をしていたからだ。
廓の中で最高位にありながら、性的サービスをしない、という矛盾が面白いね。
輪違屋は現在も営業中の唯一の置屋だ。300年ぐらいの歴史がある。まずは店の前を、「かむろ」に引率された太夫がゆっくりと歩くのを写真をバチバチ撮りながら見学。
かむろ、は置屋の女の子がしていたんだろうけど、現在は近所の女の子が手伝っている。多分、太夫の見習いをしながらお手伝いをしている女の子のことだと思う。
2人組みの小さな女の子が、おかっぱ頭におしろいで、袖口に鈴のついた真っ赤な着物を着てものすごくかわいい。
その後はお座敷に戻った。
昔の人が蝋燭の明かりで夜通し遊んだため煤で真っ黒になったお部屋で、太夫さんが舞を舞ったり、お茶を点てたり、胡弓を弾いたりするのを、写真バチバチとりながら見学。
タイムスリップするには、フラッシュが邪魔(笑)。
そしてお食事中は、太夫さんがお酌をしに回ってくれた。
お歯黒までしててビジュアルは完璧なんだけど、トークが「普通」。当たり前だけど、現代の人だ。
時代が時代なら、自分のような庶民でしかも女性がこんなところに来ることもないだろう、と思ってみたり(現代でも一生に一度ぐらいの経験だろうけどさ)。
(太夫はともかくとして)遊郭に売られた山村の女の子たちは、故郷のおっかさんを思いながら梅毒で亡くなったのかな、とか思ってブルーになってみたり。
太夫さんの豪華絢爛な衣装を見ながら、自分の仕事を思って「女の人生も様々」とか思ってみたり。
いろいろ珍しい経験をしたし、ご年配の先輩方の中で1人平成卒の医者だったし、家に帰るとぐったり疲れていたのであった。
もちろん楽しかったんだけどね。
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