ベネッセ主催の女性専用のネット掲示板を私はよく見ているのですが、最近、人工妊娠中絶に関して活発に意見が交わされていました。(はっきり言うとスレッドが荒れてたんだけど)
私も思うところありコメントをしたくなったのですが、じっくり読んでもらわないと意図が伝わりにくいので(さらにスレッドが荒れそう!)、自分のブログに書くことにしました。
先日BSで、ベネズエラの原住民族であるヤノマミ族のドキュメント番組をやっていました。
若いヤノマミ族の女性が産気づいてからジャングルに行き、村の女性に見守られながら赤ちゃんを産み落とします。赤ちゃんはへその緒のついた状態で地面に横たえられています。母親は抱き上げようとせず、どこか他人事のように赤ちゃんを見下ろしています。
なんでも、ヤノマミにとって胎児は精霊で、生んだばかりの赤ちゃんを精霊のまま神様にお返しするか、へその緒を切って「人」にするかは、母親が決めるんだそうです。母親以外の女たちは見守るだけ(男は出産に関わることをしません)。
赤ちゃんがだんだん白くなっていくのにやきもきしながらTVを見ていましたが、結局その子は人となり、母親がへその緒を切って抱き上げました。
ヤノマミの女たちは、子どものころからこの風景を見て育ちます。
精霊か、人か、母親が選別する姿を。
ここで感じること。
受精から着床、胎児となり出産、へその緒を切るまで、いつから人になるか、それは絶対的な答えがあるものではなく、文化的に決められるものだということ。
ヤノマミにとってはへその緒を切ってからがその時なわけで、私には違和感があるけど、それは私が日本人だからでしょう。
(想像するに、生まれてすぐに赤ちゃんが亡くなる悲しみを減じたり、体の弱い個体を淘汰したり、母親となる精神的な準備期間を設けたり、ヤノマミ族の生活の中では、理にかなった時期なのだと思いますが)
日本では受精した瞬間から人と思うのが多数派なんでしょうか?
妊娠中にだんだん人に近づいていく、と感じる人も多いように思います。
今の日本には多様な価値観があるから、文化としての決まった答えがありません。
ちなみに私は、無邪気に中絶をすることも、むやみと重い十字架を背負わせようとすることも反対です。
生まれた子どもが不幸になるような、やむをえない事情がある場合には、中絶を選ぶこともあるのかもしれません。
母親が自分自身で最終的な決断を下し(父親の意見は参考にするけれど、出産する前までは母親の意見が優先される)、そして下した結論に勇気を持って生きていけるよう周りは必要に応じてサポートする、それが今の私の考えです。
親に殺められて短く不幸な人生を終えるのも
どうかと思う。
幸不幸の判断も人それぞれだけど。
随分前だけど、中絶で胎児が息絶えていく過程を
テレビで見たことがあるの。
当然だけどだんだん動かなくなっていくんだよねぇ。
ありきたりだけど命の大切さを教えておくべきだなぁって感じた。
生んだ後の判断はさておき、胎児を精霊と考えるっていいな。
うちの娘達も精霊だったのかなぁなんて思っちゃったよ。
(私の表現力が乏しから軽く聞こえちゃうなぁ。)
子どもが小さいうちから、命の大切さを教えたいよね。難しいことだけど…。
文化・風習?教育?というのは考えや感情・行動に影響を与えるのだなと思いました。
立ち会い出産した時に妻の母性の目覚めみたいな表情を当たり前のように受け止め感動していましたが、そう考えると不思議なことなんですね
あと、学園祭の劇を思い出しました。
芸コン、私にとってはとてもいい思い出です。
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