ただいま。
ビクトリアの滝(ジンバブエ)→チョベ国立公園(ボツワナ)→ケープタウン(学会です。南アフリカ)→クルーガー国立公園(南アフリカ)と旅してまいりました。
いっぱい写真も撮ったので、よかったら土産話を聞きに、我が家に遊びに来てください。
それでは今日の話題
「君は鳥を見ながら鶏肉を食べられるか?」
これは、題をみて気持ちが悪いと思った人は、読まないほうがいい話題だ(例えば私の母は読まないほうがいい)。
私が大学の教養の頃、広いキャンパスの芝生にピクニックシートを敷いて、友人たちとランチをとることが常だった。
ある晴れた日、いつもの昼休み、チキンフィレサンドを食べていた私。ふと気がつくと、周りに鶏がコッコッコ、と散歩していた。
まてよ。私の食べているのは・・・。
それに気がつくと、食いしん坊の私の食欲は一気に消え去り、チキンフィレサンドは闇に葬られることになった。その時一緒にいた友人は、
「ニャムちゃんかわいらしいね」
と。
かわいいにもいろいろあって、このかわいいにはいろいろな意味が含まれている。
そして今回の旅行中の話。
私とM先生は、クルーガー国立公園のゲームドライブに参加していた。クルーガー国立公園は四国と同じ広さの広大な国立公園で、多くの野生動物が生息し、生態系の保護に成功していると、地球の歩き方に書いてあった。キリン、ライオン、サイ、カバ、ゾウ、動物園の人気者たちにも遭遇した。
でも今日は小鳥の話。
ランチは、整備された公園内のレストラン。私たちは屋外のテーブルで、パノラマに広がる壮大な景色を楽しみながら食事をとった。
スズメほどの大きさの、顔が黒くて体が目も覚めるほど鮮やかな黄色をした小鳥。小鳥は美しい声でさえずりながら私たちのテーブルの側にいる。
まあ、なんてかわいらしいんでしょう。
最初はそう思った。
でも、思い出してしまった。自分がチキンを食べていたことを。
そうすると、やっぱりダメだった。自分の口の中にあるモノと、目の前にいる小鳥とがリンクして、食欲が消えうせてしまった。
私はそういうヨワッチイところを、M先生には見られたくなくて、食欲を失ったことを隠して、ひたすらフルーツを食べていた。
さらに話は続く。
小鳥は、かわいらしそうにみえて、狙っていた。
明らかに、こちらの隙を狙っていた。
隙を突いて、自分の体の3分の1ぐらいの大きさの肉を奪って、飛び去っていった。
他の鳥たちも、「こいつらゆるい」と思ったのか、集まってきてしまった。
ヒッチコックの The Birdの世界だ。
ナイーブな私は、フルーツを食べることも怪しくなった。
この話は続く・・・
朝起きたら、TVで箱根駅伝の予選会のドキュメントをやっていた。
拓殖大学陸上部が、1秒差で国士舘大学に負け、去年に引き続き今年も非常に惜しい結果で箱根駅伝に出られなかった。
9位国士舘大学の発表があった瞬間、拓殖大学の選手たちは、大号泣であった。叫びながら、地面に額をこすりつけて泣いている選手もいた。
みごとな泣きっぷりだった(来年応援しようと思うほど)。
私は箱根駅伝の特別なファンとかではないけれど、1年間箱根目指して朝も昼も夜もトレーニングに明け暮れた選手たちのことを思うともらい泣きしてしまった、というのはウソで、人が泣くと涙は強い伝染性があるので、、もらい泣きしてしまったのだ。
もらい泣きはじめた後、1年間の苦労を思う、と順番が逆なわけ。
もらい泣きは、泣くたびに強化される性質もあり、1人暮らししていた頃に「誰も見てないからいいや」と、もらい泣きを解禁したら、結婚後も収まらず、わりと些細なことや、共感しにくい遠い話まで(例えば、定年退職するサラリーマンのドキュメントとか)仕事のようにもらい泣きする私であった。
仕事って、”泣き女”のこと。
私は多分あの職業の才能があるな。
最近書いてないなあ。
忙しいのもあるけど、モチベーションが下がっているなあ。
(モチベーションが下がった理由はいろいろだけど、まあ面白くない話だからいいや。)
さて、なんで忙しいかというと、月末から月初めにかけて、長期仕事を休むからだ。
就職して以来、一番の長期休み。
何で休むかというと、海外の学会に参加するのだ。
学会の場所は南アフリカで、私にとっては生まれて始めての「アジア抜け」だ!!さすがに南アフリカは「地球の歩き方」ぐらいしかガイドブックも売ってなかったよ。
学会に参加という言葉はしっくり来ないな。だって何も発表しないもーん。
観光旅行のきっかけが学会なだけだな。それと、同業の先輩に誘われたというのが最大のきっかけだな。
仕事は、休むとなると前後にしわ寄せが来るので、今しわとりに忙しいのだ。
例えば今日は10月が締め切りの翻訳をしている(なんか週末翻訳ばっかりだ)。
確かにしわ寄せによって忙しいんだけど、それだけじゃないな。なんか実際に忙しいよりも大変に感じているんのだよ。原因はズバリ”長く休むことへの罪悪感”
仕事とプライベートの切り替え、自分は上手いか上手くないか?? 自分より切り替えが上手い人は多いもんだけど、同じ職種(っていうか同程度の責任保持者?)で比べないと分かんないよねぇ。
せっかく長く休むのに、仕事の心配ばかりしていて、なんて不健康!。患者さんに休め休めというのに、自分が休めない精神科医は多いものなのだ。
「あなたは、あなたと同じ状況にいる友人にだったら、どんな風に声をかける?」
これは、患者さんに自分の状況を客観視してほしいときに(ポジティブに捉えて欲しいときに)精神科医が使う決まり文句の1つなんだけど、そうだなあ、今の私だったら・・・
「休んでいる間、何かあっても他の先生が何とかしてくれるよ。お互い様じゃんか。休まない人には他の形でフォローすればいいよ。それにさ、もう出かけちゃったら何もできないんだからさ!」
「仕事とプライベートを両方充実させるにはさ、割り切りも必要なんだよ。なんでも欲しがるのは贅沢だよ。」
って感じかな。わりと厳しい言葉がけをして、背中をバチコーンと叩く感じ。
勇気が要らないくらい休みやすくて、かつナルシストな自分が満足できるような仕事、今後出会うこともあるのかなあ。
土曜日曜と、仕事関係の泊りがけの会議=合宿に参加した。
合宿なんて久しぶりだったので、仕事とはいえ、なんだか楽しかった。某有名私立大学の、学生向きのセミナーハウスに泊まり、久しぶりにドライヤーは愚か、タオルも石鹸も貸してくれないところに宿泊した。
アルコールの持ち込みも禁止だったので、夕食後はお茶を飲みながら、異職種の人と語り合ったのも楽しかった。
さて、会議のテーマは、某市のユースサービスを今後どう進めていかについて。
(もちろん私の本業ではない)
会議は非常にシステマティックに行なわれた。それもそのはず、会議のファシリテーションを本職とする人が、司会進行を買って出てくれたからだ。
今日のブログの本題は、システマティックな会議はどのように行なわれたかの報告。
1)近況報告。たまにしか合わないメンバーなので、アイスブレイクを兼ねて。
2)2日間の予定の発表。司会者が前もってA4の裏紙にマッキーで書いていたことを、どんどんホワイトボードに張っていく。
3)今までの会議録を読み(合宿まで月に一回、一年ぐらいかけて話を広げてきた内容を振り返る)これからのユースサービスのために重要と思われたことを、一人一人が決められたいくつかの表現形態にしたがって、ポストイットにどんどん書き付けていく。
4)ポストイットを順番に模造紙にみんなで順番に貼り付けていく。近い意見があれば側にはる=課題のマッピング
5)マッピングしたものを、グループに分け、グループにラベル(若者の視点で、○○がほしい、というような表現にまとめていく)をつける
6)5)で作ったものを、縦軸は今後3年間でニーズが高まっていくかどうか、横軸は某団体が得意とすることかどうか、で並べていく=ユースサービスを取り巻く多くの課題点の中で、近く取り上げる必要があることを取捨選択するための作業。この縦軸と横軸のえらび方が絶妙だ。
7)えらんだ課題に関して、今後どのように議論を進めていくかを決める=小グループに分かれて話し合うことに
すごいね~。システマティックだね~。
話が逸れると、ちゃんと引き戻してくれるし。
勉強になったなあ。
うちの医局、爪の垢を煎じて飲ませていただく必要があるかもしれない。
(余談)
司会をしていた立派な人が、26歳というのにも驚いた。
26歳の若者が、ユースサービスを大人目線で語る、という奇妙なことになってしまった。例えば、
「最近の若者は適切に親密な関係を築けない。ま、僕もですけど。」
とか。
休憩時間に雑談中、彼が
「経済的に安定しないのでまだまだ結婚とかは考えていない」
と他の人と話しているのを小耳に挟み、
「じゃあ、経済的に安定している女性と結婚すればよい。」
と大切なことを教えてあげた。
そんなことにも気づかないとは、まだまだやつも青い(笑)。
今TVを見ているのだが、「体育の家庭教師」なるものが日本にはあるらしい。
子どもが家庭教師とキャッチボールをしている画像が流れている。
この商売を思いついた人はすごい。
いろんな需要があり、どんなところにも商売は成り立つもんだ。
前のブログでも書いたことがあるが、どうやら私は、1度も逆上がりができないまま、人生を終えそうだ。
前書いてた記事の論旨は、
学校で教えてもらうことは人生にとってどうでもいいことも混じっていて(かなり、ね)、そのことで苦しんだらソンだ、優先順位をつけようぜ!
ということと、
でも学校はいろんなことと(半ば強制的に)出会わせるところでもあり、それが一生涯の趣味との出会いであることもあるはず・・・。
ということだ。
それをふまえて今日の空想。
空想大好き♪
私が、この年になって「体育の家庭教師」を頼み、30も過ぎて逆上がりのレッスンを受けるとしよう。
わざわざ好き好んで、金をかけての家庭教師だ。
夫の反対や嘲笑を乗り越え、手は血豆だらけ、翌日ないし翌々日は筋肉痛、変なところが痛くなるはずだ。仕事にならないくらい辛いかもしれない。
それに、夜な夜な若い体育会系の男と公園で逆上がりをしていたら変な噂が立つかもしれない。
そんな精神的苦痛も乗り越えての逆上がりの特訓だ。
ぐうたら小学生だった25年前とはわけが違う。
ああ、きっと私は逆上がりができるようになるだろう!
鉄棒に体を引き寄せ、思いっきり足を蹴り上げ、くるっと体が回った瞬間、
世界は変わるだろうか??
いや、何も変わらない。
ただ、いい年こいて、家庭教師を頼んで、逆上がりができるようになったという、飲み会の珠玉のネタが手に入るだけだ。
それにしても、いいネタだと思わない??
誰か私の代わりにやってみない?