学校の先生を対象とした講演会を引き受けた。
いつものごとく、空から降ってきた仕事である。我が家には、雨や霰以外にも色んなものが降ってくる(皆さんはどうですか?)。
先ほどメールを開いたら、講演会担当の先生から依頼状が届いていた。
「講演をぜひ引き受けて欲しい」という熱心さはよく伝わるが、私のことを知らないのに、ほめすぎていて苦笑してしまう。
知らないのにどうやってほめてくれたかというと、私の翻訳した本をほめたのだ。
私の翻訳した本は確かにいい本だ。
メールより>あの本の先生なら大丈夫と思いました
忘れないで欲しい。あの本で私がした仕事は翻訳だ。
私が書いたんじゃない。だから、あの本の先生だからってちっとも大丈夫ではない。
メールより>私たちにとってはバイブルです
確かにあの本はいい本だ。
どんな点で優れているか解説すると、子どもが読めるように、極力シンプルに分りやすく書いているという点で優れているのだ。ジャンルで言うと、絵本。
多分、メールくれた人は、その本を読んでいないか、引き受けて欲しいという熱意のあまり、くるんくるんに空回りしているのだろう。
ああ、彼に教えてあげたい。
上から降ってきた時点で、私には講演を断る選択肢がなかったということを。
ああ、彼に教えてあげたい。
ほめすぎはそれなりのリスクを伴うということを。
でも教えてあげない。
今日はちょっとショックなことがあって、実はまだ立ち直れていない。
他の人から見たらどれ位の失態なのか分らないけれど、自分としては少なくとも半日分のハッピーは食いつぶすくらいのミスをしでかした。
具体的に言うと、自分がパワーポイントの翻訳協力をした講演を聴きにいったところ、スライドの一枚目、つまり”お題”が間違っていたのだ!!なんてこった!
司会をしていたうちのBOSSが講演に先立って訂正し、「最終チェックをした自分が悪い」とは言っていたが、(私がまず下訳をし、BOSSが赤を入れ、それを私がまた打ち直してファイルを渡す、という協力をした)、まさかBOSSも題が間違っているとは思わなかっただろうし、自分もまさか間違えていると思わなかったので、”見直し網"から完全に外れていたのだ。
もう少し細かいところまで説明すると、題の最初の単語がポッコリ抜けていた。
そしてBOSSか誰かが講演の直前に気づいてくれたのだろう、レジュメ(パワーポイントをそのままレジュメにしたもの)は間違ったままだったが、スクリーンに映し出されたスライドは、きちんと修正してあった。
家に帰って自宅のPCに保存してあるファイルを確認すると、ファイル名は正しい題であった。スライドの一枚目で何か操作している間に、最初の単語をウッカリ消してしまったのだろう・・・。
ザ・ケアレスミス!!
なんてドジなんだ、自分!
ミス自体は、努力だけでは減りこそすれ、なくならないものだ。
今日のミスから教訓を得るとすれば、スライドの一枚目は「死角」だったということ。
ミスは心配しているところではなくて、死角に起きる。
でも、死角をなくすことはできない。減らすことは出来ても。
ミスから学ぶことは、1)同じミスはしないようにしようと思うことと、2)早く立ち直るだけのタフさを身につけること、3)ミスをしにくいように構造を変えようということだ。
1)に関しては、やりすぎてあまりにもミスを恐れると人生のハッピーは減ってしまうし、何かに気持ちが行き過ぎると別のミスが増えてしまうという副作用あり。とりあえず全く同じミスはしないようにしよう。
2)に関しては、明日には立ち直りたいし、立ち直る1つのすべとしてブログを書いている。うん、前向き。
3)に関しては、今日は「ニャムはドジだ」と周囲が知ることで早くミスが発見されるという大技一個しか思いつかないなあ・・・。
でも、私は自分がウッカリ者だと知りつつも、認めたくないからまだあまり素直になれないのだ。
なんで認めたくないかはもっと自己分析する必要あり。
ちなみに、今横にいる夫に「わたしはウッカリ者?」と聞いたら、「そうだね」と即答された。
明日、イギリスから偉い先生を講師に招いての講演会がある。
講師の先生は昨日日本に着いて、今日は観光と打ち合わせ。
私はスライドの翻訳に協力したのだが、明日はのっぴきならない用事があって、残念ながら講演会自体は聞きに行くことができない。
BOSS(←翻訳協力の仕事をふってきた)に
「せっかく協力したんだし、何か先生とご一緒できる機会があれば参加したい」
と頼んでみたところ、今日の観光に便乗させてくれることになった。
私は、スライド以外にもその先生の論文を2編翻訳していた(その仕事もBOSSから降ってきた)。英語は苦手だから(苦手でも翻訳するんだから変な話だけど、医者の業界ではありふれた話)翻訳するとなると、なんというか「身も心も論文にささげた状態」になるので、勝手に「もはや先生とは他人ではない」気分だったし、今日はとても楽しみにしていた。
で、実際楽しかったのだけど、ちょっと大変だったのでそれを報告しようとおもう。
まずは料亭で昼食をとり、その後近くのお寺を見に行くというプランだった。
とにかく、みんな無口で困った・・・。みんな黙って食事をするのだ。
我が家は全員おしゃべりだし、お客さんにひっきりなしに話しかけてこそ接待、というところもあるから、こんなに食事中シーンとなることはないのだ。
私は先生とは初対面だし、年も全然離れているし、ブロークンな英語でガンガン話しかけるのはちょっと…、という雰囲気だった。
BOSSと心理士さんが日本語でぼそぼそっと話す以外、あまり声がしないのだ。2人とも英語はなせるんだし、客がイギリス人なのになんで日本語でしゃべるの!と思うけど、一番英語ができない私が話題を翻訳するのも変な話だし。
しかたなく私も黙ってしまう。
「あああもう。シーンとすると霊が通るんだぞ!」
と、子どもの頃に流行った都市伝説(?)を思い出しつつ、無口に身悶えていると、BOSSが途中で
「この子は静かなのが嫌いでね」
と、話題を振ってくれた。
BOSSは私が”寝ている相手にも話し続ける”と疑っていたことがあるくらい、私のことをおしゃべりだと思っている。おしゃべりなのは否定しないけど、寝ている相手には話しかける必要がないから話さない。
場がシーンとしていることに耐えられないから、とにかく誰かが話しているとホッとするのだ。
仲のいい友達なら、黙っていても平気だが、今日みたいにお客さんを迎えたときや、まだそこまで親しくない人といる時の沈黙に対しては、恐怖すら感じる私であった。
観光になると、”歩く”という動きがあるので、シーンとしているのも比較的平気。
寺ではしばらく座って休憩したけれど、「蝉の声を聞いているんだろう」と、これまたシーンとしているのが比較的平気(イギリスの蝉は日本の蝉ほど大きい声で鳴かないんだってさ)。
でも、食事中だけはシーンとするのが耐えられないのだ~~!!!
非常に珍しい経験をした。
京都は嶋原の輪違屋という置屋で、太夫さんにお酌をしてもらったのだ!
ああいうお店は値段の見当も付かないし、そもそも「一見さんお断り」なので自分とは関係のない世界だと思っていたけれど、縁があって、随分年配の先生方(軽く70越え)と、ご一緒させてもらった。
女将さんに聞いたり、Wikipedia等で調べた知識を私なりに消化した形で、太夫さんとはどんなものか説明しておく。
芸事を見せながら性的なサービスをする女性たちの、吉原での最高位は「花魁」。ビジュアル的には日本人だったら大体共有で着ていると思うけど、ものすごい量のかんざしをさした大きな日本髪、ど派手な着物に正面で結った帯、尋常ではない高さの下駄。
太夫は嶋原(京都)の最高位だが、花魁とは違うらしい。私は素人なので、見た目は上記とほぼ同じに感じたが、女将さんの説明によると、襟の降り方や帯の締め方が違うらしい。
最大の違いは、当時性的なサービスをしなかったことだろう。
御所の中で、お宮さんの遊び相手(芸事を見せたり、貝あわせや蹴鞠したり)をしていたからだ。
廓の中で最高位にありながら、性的サービスをしない、という矛盾が面白いね。
輪違屋は現在も営業中の唯一の置屋だ。300年ぐらいの歴史がある。まずは店の前を、「かむろ」に引率された太夫がゆっくりと歩くのを写真をバチバチ撮りながら見学。
かむろ、は置屋の女の子がしていたんだろうけど、現在は近所の女の子が手伝っている。多分、太夫の見習いをしながらお手伝いをしている女の子のことだと思う。
2人組みの小さな女の子が、おかっぱ頭におしろいで、袖口に鈴のついた真っ赤な着物を着てものすごくかわいい。
その後はお座敷に戻った。
昔の人が蝋燭の明かりで夜通し遊んだため煤で真っ黒になったお部屋で、太夫さんが舞を舞ったり、お茶を点てたり、胡弓を弾いたりするのを、写真バチバチとりながら見学。
タイムスリップするには、フラッシュが邪魔(笑)。
そしてお食事中は、太夫さんがお酌をしに回ってくれた。
お歯黒までしててビジュアルは完璧なんだけど、トークが「普通」。当たり前だけど、現代の人だ。
時代が時代なら、自分のような庶民でしかも女性がこんなところに来ることもないだろう、と思ってみたり(現代でも一生に一度ぐらいの経験だろうけどさ)。
(太夫はともかくとして)遊郭に売られた山村の女の子たちは、故郷のおっかさんを思いながら梅毒で亡くなったのかな、とか思ってブルーになってみたり。
太夫さんの豪華絢爛な衣装を見ながら、自分の仕事を思って「女の人生も様々」とか思ってみたり。
いろいろ珍しい経験をしたし、ご年配の先輩方の中で1人平成卒の医者だったし、家に帰るとぐったり疲れていたのであった。
もちろん楽しかったんだけどね。
私は大事なことは、衝動的に決めることが多い。
衝動的とは、その時の「勘」とか「感情」を頼りにするということだ。
私の場合は、事前にいろんな情報を頭に詰め込んで考えているからこそ、最後にある決定打としての勘や感情が生まれているように思える。
選択することは何かしらの痛みを伴うことが多い。例えおいしいケーキを選んでいたとしても、一方のケーキを選ぶということは、もう一方のケーキを食べるチャンスを失うということだ。
その痛みを最小限にするために、最後は勢いをつける。
(ばしっとね。)
私は結婚する前に夫にこう言ったらしい。
「私って、勢いで、後ででやめとけばよかったと思うような選択をしてしまうことがあるから、そういう時は止めてね」
”私はこうあるべき”と、理想に燃えた選択をすると、大体忙しくなってしまう。
するとぐうたらな私は後悔する。
というわけで、「○○すべき」ばかりでは大変なので、なるべく自分に正直な人生を歩まなくちゃと、毎日のように思っている。
でも意外と、この「○○すべき」と、本質的にしたいことを区別するのが難しいのだ。
今回の決定は、”すべき”に振り回されず、”好奇心と新規探求傾向”で選んだと考えたい。
初めは新しいことにとまどったり、忙しさのあまり、ちょっぴり後悔するかもしれないけど。
そしてもしずっと続く後悔だったら、また新しく選択をしよう!
そう思えば、自分の決めたことにあまり不安にならないでいられそうだ。