書き込まれた悪口を読むと、ああ、たぶん前の職場の患者さんなんだろうなぁ、と思います。いつも同じ言葉が同じ語順で使われているし、悪口も的を外れているからです。
社会性のある人の悪口こそ胸に突き刺さりますからね。
さて、最近ふたたび元気になっています。
一時落ち込んでいた時は、ため込まずに周囲にまき散らしていましたので、同じ職場の先生や一部の看護婦さんには心配をかけました。
大体、仕事で落ち込む時のパターンは決まっていて、治療が難航して、私が主治医でなければもっと上手く行ったのでは?と思ってしまうときです。
それとホルモンバランスのような生理的な問題が重なっているのです。
今回の落ち込みがある日を境に定常状態に戻ったのは、ECTの方針がたったからで、医局会で院長に「こういう人には効くよ」と太鼓判をもらったら、ほんとに気持ちがすっと軽くなったのです。
というわけで、昨日から今日にかけて当直中な私、相変わらず重たい患者さんばっかりですが、元気に仕事をしています。
気がつくともう7月。
「○○病院のニャムです」
と自称することにも違和感がなくなりました。3ヵ月という単位は、ローテーターの頃、一つの科を回るのにかけた時間と一緒です。
慣れたころに次に移るんだもんな、と思っていた頃を思い出します。
それを考えると、私の○○病院で「常勤」な日々はこれからですね。
先日アクセサリーを買いに行ったところ、店員があまりにもあんぽんたんなので「むかつくを通り越して面白い」と思った話をします。
最近気分が沈んでいるので、キラキラしたものでも買って元気を出そうと思い、先週の金曜日、デパートに買い物に行きました。
その日は、4時間かかる慣れない形式のインタビュー(研修の一種)を終え、達成感と共に頭の芯がしびれるような疲労感も抱えていました。
自分へのご褒美に、華奢なネックレスを買おう、小さな宝石のトップが付いていて、チェーンがピンクゴールドか、イエローゴールドのかわいいネックレスを買おう、と思っていました。
かなり本気度の高いお買い物だったので、いろんなブースに行って、試着もたくさんしました。
で、某ブランドのブースに行き、めずらしい形のクロスのペンダントトップと、キレイなティアドロップのトップなど、結構いいかんじのブツを見つけたわけであります。
店員が近づいてきて、試着させてくれるのはいいんだけど、
とにかく訳の分からんことをしゃべるしゃべる。
営業トークなんだけど、ムチャクチャ。
例えば、
「ティアドロップのトップぅ、涙的なフォルムの形ぃみたいな感じですよね。」とか
「かわいくて、でもエレガントで、ジュエリー的ですよねぇ」
「これはフルムーンを意味しているんですぅ。満月的なフォルムの形ぃみたいな感じですよね。」
とか。
ジュエリー的、といわれたときは、これはジュエリーそのものじゃないの?と、思わず突っ込みを入れたくなり、ちょっとだけひねって「ダイヤは本物じゃないの?」と聞いたところ、当然店員さんは突っ込みの意味には気づかず、「本物です」と。
とにかく、営業用に学んだフレーズを、横文字にしたり日本語にしたり、繰り返したりひっくりかえしたりしながら、ずーっとしゃべり続けているの。
高い買い物をしに来てんだから、横であんまり奇妙なことをしゃべられると、集中できひん、と思っていたら、聞き捨てならないことも交えだしやがった(笑)。
「ピンクゴールドはぁ、若い方に向いているとぉ、思われがちなんですけどぉ、年齢を重ねていってもしっくりくるというかぁ、肌に溶け込むような感じなのでぇ、大丈夫です。」
「お若い方だけに似合うわけではなくてぇ、どの年齢層の方にも似合うんです。」
「これは、18金じゃなくて、10金なんですけどぉ、そのぶんピンクピンクしていなくてお年を重ねてもしっくりなじみます」
などなど。
ちみちみ、それは禁句です。
多分、営業トークマニュアルの中に、「若すぎるかな、と悩んでいる客にはこう言え」というのはあるんだろうけど、
・・・わたし、まだ、ぴちぴちなんですけど。
若すぎて耐えられないのは、セーラー服ぐらいなんですけど。
これはまあ、冗談にしても、ピンクゴールドが若すぎることをきにしなけりゃならん年齢ではございません。
このバカな店員の営業成績をあげるわけにもいかないので、とりあえずその場を去り、結局この日は、別の店で、ものすごく、ものすごーくちゃらちゃらしたジュエリーウォッチを買いました。
この店の店員は、営業が上手だったなぁ。
ふふふ・・・高くつきました。
最近とみに健康なので、自分の健康を過信する傾向にありまして、腸炎には気づいていたのですが、何も気にせずに出勤したところ、朝の病棟の引き継ぎの最中に、感覚過敏と生あくびが来て、そのあと悪寒が走り、末梢血管が収縮して指が真っ青になってしまいました。
こりゃ無理だ~、と思って、看護婦さんに体調悪いと打ち明けたところ、瞬時にして私は医者から患者さんに転身しまして、診察台に布団を敷いてもらって寝かされて、すごく優しくしてもらいました。
同僚の先生から点滴の指示が出たので、みんながルートを取ろうとしてくれたんだけど、びっくりするぐらい血管がぺったんこになっていて、これがまた全然とれず、ホットパックとかまでしてもらって、看護婦さんも入れ替わり立ちかわり。
このくそ忙しい時間に申し訳ないと思いつつも、もうこりゃあ甘えるしかない、という相反する気持ちに見舞われる私。
結局ロキソニンが効いて悪寒が去ると、なんとかかんとか必要最低限の仕事はできて、当直室で寝てから夕方帰りました。
看護婦さんは、本質的に弱きモノに対して優しい。
本質的、という意味では、平均的な医者よりも絶対優しい。
次の日は当直で、今は明けで医局からブログをアップしているのですが、ほんとにもう大騒ぎになったのが恥ずかしいぐらい元気でありまして。
やっぱり基本、わたくしめは健康なのです。
さて、今思っていることは、
・病気のおかげで、自分と看護婦さんの関係性が変化しそうな感じ。つまり、彼女たちの善き部分をかぶりつきで見れたことにより。
・最終的には、ルートが取りにくいため処置が遅れて死ぬんじゃないか、私は。もちろん年を取ってからの話だけど。
さて、今日はお休みで家で『剣客商売』を読みながらぼーっとしています。池波正太郎の。これをみても私の雑食ぶりが分かるでしょ。
医局に転がっていた『剣客商売』をなにげに読んだらとても面白かったので、シリーズを順番に読むことにしました。
基本、おっさん目線で書いているので『萌え』な女が出てきます。萌え女剣士とか、20歳も年下の幼な妻とかね。
昨日テレビを見ていて、節約主婦、家族4人で1月の食費1万5千円、というのをやっていました。
すごいねえ。
前もどこかに書いたことがあると思うけど、うちの食費は1月20万ぐらいかかっていると思います。友人との会食、飲み会も含めてなので、世間で言うところの「交際費」も含めての額ですが、ひどいもんです。
節約主婦は、「借金を返す」という重大なミッションがあるため頑張っている訳ですが、あれは「節約業」という、形を変えた仕事に他なりません。彼女はmaster of 節約istです。
彼女が節約のために使う時間を、少なく見積もって1日3時間(買い物と料理)だとして、3(時間)×800(時給)×30(日)=7万2千円。
7万2千円+1万5千円=8万7千円を、かの節約主婦の真の食費と考えるのはどうでしょうか(笑)?
ああ、それでも我が家は倍以上使ってんなあ。
今の生活をしていたら、私に食費の節約は無理です。
外食は多いし、週に2回の料理も、節約とは無縁です。むしろ「たまにおうちで食べるんだから、おいしいもん食べようね」と、財布の紐は緩みっぱなしです。
今後も10年20年と、ダブルインカマーであれば、まあこの生活を続けてもさして問題はないでしょうが、なんというか、自由でいたいというか、「いざとなったら仕事を辞めちゃうもんね」的なスタンスで日々生きていたいのです。
人様の命を預かる、大切な仕事をさせていただいておりますが、そして非常に真面目に働いていることを自負しておりますが、それでも「腰かけ」的なスタンスを貫きたいというか・・・。
(それにしても深々と腰をかけたもんですが。)
そうなると、今の半分の収入で生活をできるようになる「イメトレ」も日々欠かせないわけでありまして。
私が専業主婦になったら、今仕事に手向けているエネルギーを、家事や節約に投じることになります。
以下、イメトレ。
・1日3箇所はスーパーを廻り、底値で食材は仕入れる
・コンビニ利用率はほぼゼロ%
・夫がどんなに嫌がろうと弁当を持たせ(冷たいのは嫌なんだってさ)、夫のヘアカットは私、夫のマッサージするのも私。ついでに夫の小遣いは2万。
・ホームクリーニング
・本は図書館で。
…なんか興奮してきた(←イメトレ上手)。
きっと主婦になっても大丈夫、と安心したところで、本屋に『剣客商売』の続きを買いに行き、今日はカフェでお茶してから洋服でも買いにいこうと、浪費することばかり計画しているのであった。
昨晩、患者さんがきれた時間帯に、一緒に当直をしているA先生とのエピソードを紹介。
「モラルVSインモラル」
私はA先生に言わせると、モラル代表みたいな人間らしい。規範を破っているところが想像がつかないんだそうで。
そして私と同時期就職のB先生はインモラル代表(人生は酒と男!)で、A先生はインモラルな部分でB先生と共鳴するんだそうだ(A先生がどうインモラルかは不明♪)。
インモラルを自負する人は、モラル人間をちょいと馬鹿にしていたりするので(類似系:酒飲みは、下戸を馬鹿にする)、夜更けで口が軽くなっていたこともあり、
「文学作品やらファッションやらが「インモラル」に価値を見出す中、普通であることを真正面から受け止めることは、それなりに勇気がいる。自分は強いからその勇気を身につけてきたんだと思う。」
「自分は、「小さな幸せ」のイメージを大事にしていて、小さな幸せを守っているイメージにこそ勇気づけられる」
と、モラル人間がどれだけ強いものかを、まあ、演説させていただきました。
まだまだ語れたが、Drコールが入り断念(笑)。
人生の幸せは、今の自分にどれくらい価値が見いだせるかにもかかってくるとおもう。
私がモラル人間ならば、いかにモラル人間が素晴らしいかを、自分自身で明らかにしていくのが、小さな幸せを守ることにもつながるってもんだよ。