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裏日記
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GWは研修に行ってまいりました。
自閉症関係の研修で、非常に有意義でした。

確実に人脈も広がりました。人脈を広げるという視点でもこの研修を勧めてくださった、K先生、感謝申し上げます。

表ブログの方が、5月1日に急にアクセスが伸びており、何事かと思えばその道では有名なA先生のブログに紹介されていました。
しかも熱烈PRあり!おまけに私の翻訳書まで紹介してくれていました。
A先生とも研修で初対面。
一歳上とは思えないほどの落ち着いた方で、しっかりされていました。

というわけで、今日は久しぶりに表ブログのほうを更新。



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金曜日が2回目の当直。今回も精神保健指定医のW先生が一緒。

私が現在勤める病院が非常に恵まれた環境であることが、↑この一行からも分かるかもしれないけど、私が当直する時は、精神保健指定医の先輩との2人体制である。

本当に研修医に戻ったみたい!
学ぶにはありがたい病院である。

救急当直一人目の診察は、W先生の見守る中まず私がして、恥ずかしながら途中で交代。

W先生が場を見事に収めていく姿を見ながら、私にこれができるようになるかと不安になった。
終わってから診察の仕方のコメントを受けた。現病歴を聞き取れていないことと、必要な疾患のルールアウトが出来ていないとのこと。

コメントを受けながら、自分の頭の中の整理をした。

・単に経験不足、勉強不足、語彙不足
・精神科救急当直の診察の全体像が理解出来てない
・緊張している

かぶるところはあるが、この3点が問題。

次こそは合格点を、と気合を入れる。

気合を入れすぎたのと、落ち込んだので、患者さんが途絶えた数時間もあまり寝付けず、少し寝てもずっと診察の夢をみていた。

二人目の患者さんは、24条通報なのではじめからW先生が診察する。

うわあ、こんなん私にできるかなあ。

昨日は当直明けで昼の1時過ぎまで働いて、医局で仮眠をとってから病棟の歓迎会へ。
歓迎会は、実に表面的な会話で大盛り上がりをしていた。

私はわりと看護師さんとの人間関係に、警戒を抱く方だし(だっていじめられたくないからね!!)、最初にビールを一杯飲んでからはウーロン茶にして、テンションを合せて大笑いをしつつも、ひたすら空気を読んでいた(笑)。

少し前にW先生に聞いたのだが、看護「婦」さん同士人間関係も複雑らしい。

で、飲み会では、みんなあまり深い話にならないようにしているのか、ひたすらしょうもない「エロ話」をしている。そして看護「士」さんやら男医をイジリ倒して、ひたすら大笑いする。
昨日かっこよく患者さんに応対していたW先生なんざ、むちゃくちゃやられている。

なんとなく、どこかの山村の婦人会に参加している気分だ。

ここの職場では、当たり障りのない話題として「エロ話」をするんだなぁ、と思い、私はあんまりそういうのが趣味ではないので、人のエロ話には大笑いするけど、積極参加はせず。

同じような話でも、語彙が豊かで面白い表現をする人もいて、例えば化粧がいつもより濃い人を揶揄して
「今日は○○さん、尋常じゃないアイメイクをしている。」「イスタンブールやモロッコにいそうな感じ」
とか言うんだけど、この「尋常じゃない」という表現と、「イスタンブールやモロッコにいそう」というのが、私としてはツボにはまった。


私と一緒に赴任した女医さんは、かなり酔っ払って、師長(男)さんやW先生にセクハラをしていた(汗)。


彼女との対比で私は「落ち着いてる」キャラに収まりそうだ。

まあ、いいんじゃないでしょうか。一面落ち着いてるしねぇ。



<R村(今の職場のスタッフの人間関係のこと)でのフィールドワーク>
報告① 村社会の契り
20年ほど前のR村の寮は、さながら村祭り後の神社の境内ような役目を果たしていた。

おはようございます、ニャムです。

わたしはうっかりモノで、前の職場ではADHDと言われていたのだけど、未だその診断を受け入れてはいない。
だって、生活にほとんど支障がないからだ。

でも確かに、うっかりモノではあって、例えば中学生の時、数学の解答用紙を縦に埋めていくべきところを横に埋めて点数を下げたりもした。
自分でもがっかりしているのに、親が輪をかけてがっかりしたのでさらにがっかりきたのをよく覚えている。
このエピソードは生活に支障があったといえなくもないけど、今ではいい思い出なんですが(笑)。


さて、今日は「精神科スーパー救急を持つ病院の第1回目の研究会」があり、新しい職場の親分が会長を務めるとのこと。
(親分=院長 なぜ親分かというと、そんな感じの人だから(笑))
当然新人の私も参加をするわけだが、昨日晩の9時ぐらいに帰りの電車の中、

「あ、チラシ忘れた。場所わかんないや」

と、ミスったことに気が付いた。
でもこの時点では、全然焦らないわけ。
だって、誰かに聞けばいいからね。。。って、誰かって誰よ!

まだ医局のみなさんの携帯番号やメルアドを知らないじゃないか。

「ま、いいか。ネットで調べりゃ載ってるやろ」
と、この時点では少し不安にはなったけど、まだまだ余裕がある。

そして帰宅。

ネットではかなり検索するもヒットせず。

がーん。ここでだいぶ焦る。

次の手を打つ。

2人だけ、パソコンのメルアドを知っているので、2人共にメール。
しかしまだ私はその2人の生活習慣を知らない。前の職場の人たちみたいに、真夜中でもメールチェックするかなあ???

そして就眠。

これでダメだった場合、次の手は、病院に電話をかけて当直している先生に聞くことだけど、それはなんかすごく悪いことのような気がする。
最後の手段は、職場にチラシを取りに行くことだけど、家から遠いからなあ。

そんなことを考えながら寝たから、夢を見た。

私は街をさ迷っていたら、副親分(副親分=副院長)に出会い、ここだよ、と教えてもらってホッとする夢。なんて都合のいい。。。

朝起きたら、2通のうち1通、ちゃんとメールのお返事が来ていた。


さて、ここから何を学ぶのか。

私がうっかりモノだというこということは、歴然とした事実である。
前の職場で困らなかったのは、携帯というツールを使ってすぐ人に尋ねられたので、うっかりを補うことが出来ていたのだ。
職場が変わりツールを一時的に失っているので、うっかりによる生活の支障が出現したということ。

つまり
不利になりがちな特性も、補うスキルがあれば障害ではなくなる

ということ。

さて、もう1つ。

私は新しい職場の人へのメールに
「うっかりしているんです」「粗忽モノです」
と書いて、教えを乞うたので、

○○病院にようこそ。
どんどん、自分の色を出していって欲しいと思います。
(粗忽なところも含めて?)

というお返事をいただき、今日の研究会の会場が分かった以上に、楽になった。
特性は、隠そうとせず周囲に知ってもらうことも大事なことだと、改めて思った。

某地域の、精神科救急基幹病院に勤めることにアイナリマシタ。
昨日はオリエンテーションだったので、今日から本格始動です。

精神病院の雰囲気は独特です。
離れると忘れてしまうのですが、飛び込むと思い出しました。
白衣も久しぶりに着ると、お医者の気分になります。

ああ、それから研修医スピリットも思い出しました。

すなわち、よく分からないままでも動く。

ただ、研修医の時よりも大人になっているので、はしゃいだりはりきったりはいたしません。

本日仕事はいきなり始まりました。
お昼ごはん、5分で食べました。

急性期病棟と、老人病棟の担当になり、はじめは急性期病棟に力を入れるように指示を受けました。とは言っても明日は老人病等の当番なので、カルテを読みに老人病棟に行きました。

すると看護士さん同士が
「呼んでも医者が来ない」
という世間話を、私の頭の上で交わしていました。

これ、聞かされてるなあ。
 
頭の上で交わされる会話は聞こえないフリ!!


実は、日曜の晩は眠れませんでした。緊張から。

あまり余計なことは考えずに、毎日目の前の仕事をこなしていけば、きっと慣れていくことでしょう。

知らないうちに指定医も取れてるのかな。

さて、5年勤めた某センターを卒業いたしました。

b-oさんも涙腺が緩んでいると書いておられましたが、私もです。一昨日ぐらいから、涙がよく出ます。今日はひっそりと家にいますが、職場のMLをやめる時も泣いたし、プレゼントをくれた先輩にお礼状を書いた時も泣きました。
(今、これを書いていても泣きそうよ!)

がおさんはブラジルから帰って来る時、泣きましたか??


明後日からは新生活、一般精神科医としての武者修行が始まります。この武者修行という言葉は、BOSSが使ってたんだけど、力強くていい言葉ですよね。


私の医者としてのアイデンティティーの築き、について、長々と書きます。

一番初めに大学の精神科で研修医をしました。
目からウロコという言葉がピッタリな1年でした。
今まで正しいと信じていたこと、たとえば頑張ることが正しいとばかりは言えないこと、を学びました。

次にローテーター。精神科医に戻るだろうとは思ってましたが、もし他に向いている科があればそれも考えよう、と、フレッシュな気持ちで2年間研修しました。
救急科では自殺企図患者についての報告を学会発表させてもらったり、今はお亡くなりになった精神科のU先生には、個人的な勉強会を開いていただき、身体科を研修しつつも、自分は精神科医であるという意識を失うことはありませんでした。
研修をさせていただいたK病院の指導医の先生方は、将来精神科医になるだろう私に、まったく分け隔てなく、むしろかえって面白がるように熱心に教育をしてくださいました。
数人の先生とは連絡を取り続けていますが、とてもお世話になったT先生は、最後なぜかメルアドを教えてもらえず、もうお会いできないかと思うと寂しくて仕方がありません。

そして某センターで児童精神科医として5年間仕事をしました。教育と福祉と医療の交わる職場で、自分が医者であるというアイデンティティーを保てたのは、2年間のローテート研修のおかげだと思っています。
どれだけ医者とかけ離れた仕事をしていても、自分が医者であることを忘れずに、軌道修正をすることができました。

よき人々に恵まれて、発達障害と子どものトラウマは、数え切れないほど診察させてもらいました。

5年間同じ仕事を続けたことで、ある程度の臨床力と自信は持てたと思います。

しかし、心理士やST、学校の先生、そして小児科医など、隣接領域の専門家が増える中、足りない足りないと言われているのだから、増えていくのは大いに喜ばしいことなのに、それを心の底から素直に喜べない自分に気が付きました。
それはすなわち、臨床家としての自分の自信が、揺るがされるからです。

レアな存在でいられなくなるからです。

それだけが理由ではありませんが、それも1つの理由として、私は、一般精神科を学ぶ決意をしました。
結局、地域で一番忙しい病院を選んでしまいました。

1年の精神科研修医、2年のローテート研修医、5年の児童精神科医に、○年の精神科医の経験が重ねられることになります。

同じ年数でも、順番が違うと、ぜったい違う結果になると思います。

環境が与えてくれた選択肢を、その時どきの自分の正直な気持ちに沿って選んでいたら、私の医者としての経験は、ちょっと珍しい順番になりました。

これからも、あまり張り切りすぎず、日々の臨床を堅実にこなして行きたいと思います。

おかげさまで、私は「レアな順番で学んだ医者」にはなれるのですがら、決して無理をせず、スタンダードな医療を継続して提供し続ける、そんな精神科医になりたいです。

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