忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT
裏日記
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

子どもを生んでから、子ども支援センター主催の講習会に行くようになった。

昨日は
「絵本で子育て」。

私は本が好きだし、娘と絵本を楽しみたいから、読み聞かせのコツとか、おすすめの名作絵本とか知りたくて参加した。

もちろん、そういう話が大半だった。

でも・・・というべきか、やはり・・・とつなぐべきか。

「紙オムツより布オムツの方が赤ちゃんとの基本的信頼感が築きやすい」
「TVを見せすぎると子どもの言葉が遅れる」

どうしてもこういう話を聞かされてしまうのだ。


どちらも、上の世代の人たちの
「昔の子育てのほうがよかった」
という懐古趣味的な感情が先にあって、それをもっともらしい理論でオブラートに包んで若いお母さんに語られるのだ。

なんでも、布オムツの方が「おかーさん!気持ち悪いよう、オムツ替えてよう」という赤ちゃんの訴えに母親が応えてあげる機会が増えるからいいんだそうだ。

TVに関しては、例の2004年の小児科医会の提言が引用されていた。
提言自体が研究デザインに問題があって感情的すぎるのに、それを嬉々として引用する人々の断言ぶりは推してしるべしである。

私自身の印象(精神科医として、母ちゃんとして)としては、母親が子どもと楽しい時間を過ごすことは、子どもの健やかな成長にとってとてもいいことだと思う。
母親が子どもと楽しく過ごすには、母親が安定しやすい環境にあることが必要だ。

布オムツは結構大変だ。オムツ替えの頻度も上がるし、お尻はかぶれやすいし、洗濯物も増える。
今、子育てしんどいなぁ、と思っている母親に、もうひとつ重荷をしょわして、母親が笑えなくなったらかえって困っちゃうんじゃないかと思う。

昔はみんなしていた、と言われるかもしれないけど、昔は紙オムツがなかったのだから、「あるのに使わない」のとは違うし、そもそも家族形態やら地域生活やら、もっともっといろいろ違うんだから、単純に比べられないのだ。

TV、確かに、そればかりでは、という気はする。

子どもにはいろいろなコトに出会うチャンスを与えてあげたいから。

ちなみに先述の小児科医会の提言には「授乳中にはTVを消せ」という項目がある。

私は今専業主婦だから、子どもと関わる時間は24時間だし、お笑い芸人並みのハイテンションで遊んだり、お歌を歌ったり、おんぶしてだっこして、それはそれはかわいがっておりますわ。
うちの娘、おっぱい飲んでいる時間(と寝てる時間)が一番静かなんですわ。
このつかの間の静かな時間、自由に使わせてもらえませんか。


「絵本を子どもに読み聞かせると、とても楽しい時間が過ごせますよ」



「TVで子育てしちゃだめ!」

一緒に言う必要あるのかな。
絵本の読み聞かせするときは、自然にTV消すのにな。


ところで!
懐古趣味や浅薄理論で腹が立ったり不安になった時は、太古の人類に立ち返ることをお勧めしております。
そのやり方は次回!

PR
今日は代理選択の話。

うちのちゃむちゃんは生まれつき右胸から背中にかけて、大きな血管腫(赤あざ) がある。
出産直後分娩台の上で、助産師さんが産科の先生に報告するのが聞こえた。先生は、無事に生まれてきたのだからそれで十分、といった、とてもおおらかな反応だった。

実際そうだし。

産科に入院中は皮膚科の教科書を持って来てないし(当たり前!)、私の皮膚科の知識は限られている上に偏っているので、昔国家試験対策で勉強した血管腫を合併する難しい病気(=頻度の低い病気)を思い出して、後からちょっと不安になってしまった。

退院してから、思う存分教科書を読んだりネットで調べ、多分「単純性血管腫」ということが分かり、ほっとした。

単純性血管腫は、100人に1人程度の高頻度に見られる血管奇形で、「腫」とついているが腫瘍ではない。残念ながら生涯消えることはないが、悪さをすることもないからだ。

要は美容上の問題である。

程度にもよるかもしれないが、美容上は健康上に比べ、問題が小さい。 単純性血管腫の治療は、ほとんどの場合レーザーで行う。体の成長とともに血管腫も育つので、小さいうちにやると、治療する面積の絶対量は少なくてすむし、幼い時のほうが血管腫の位置が浅いからか、若干治療成績もいいようである(レーザーは深さ一ミリ程度しか届かないらしい)。 右胸全体、右上腕の内側部(ここは小さい)、右背上部にかけて、ぶどう酒をこぼしたようにみえる(単純性血管腫の別名が「ぶどう酒様~」)。

親からみると、なんというか、それも含めてギザカワユス、ギガントカワユスなのだが、親との2者関係で生きていくのもほんの短い間だけだし、他人との関係を築く中で、ちゃむが将来どう受け止めるかを想像しなければならない。

小さい子どものころは、周りの子に無邪気にからかわれることもあるだろう。
それが高じて小学生ぐらいには「水着になるの、嫌だな」と思っているかも。
思春期には「大人になって胸を見せたくないから、結婚したくない」と思いつめるかも。
でも大人になったら「あざも私の個性のひとつ」と思うかな?そうであって欲しいな。でもこれも押しつけかな?

これは、本人が選ぶまで待つか、本人の選択を親が代理するか、という命題。

私たち夫婦の結論は、「きっと大人になるまでのどこかで治療したいと思うだろうから、それならばベターといわれる時期にやろうか」というものになった。

ちゃむの血管腫は結構大きいので、治療をするなら入院して全身麻酔をかけることになる。

親はちゃんと「代理で」選択したのか、それとも子どもから選択権をうばっちゃったのか。
(それは多分渾然一体となってしまって、もはや区別がつかないのだ!)

これからも代理で選択する機会は多いだろうけど、子どもの成長に合わせてちゃんと手を引いて行かなければならない。

そんなことを考えたり。


…頭でっかちか?

犬のような子育てを心がけているのだけど。
去年までは、洋服や靴やカバンなど身を飾るものが欲しかったけど、今は家でじっとしているし、洋服は赤ちゃんが顔をこすり付けても大丈夫なもの、靴は両手を使わずに脱ぎ履きできるもの、カバンは肩掛けできるもの、が現実的だから、あえて新しいものという気にもならない。

赤ちゃんをスリングで前抱きして、赤ちゃんごとユニクロの男物のダウンジャケット(夫が通販で買ったら袖が短かった)で身をくるんで、近所のスーパーに行く自分の姿は、知り合いには見られたくないけど。

一方、家にいる時間はとても長いので、前々から欲しい欲しいと思っていたソファーを新調することにした。

新婚の時に買った白い革のソファーは、全くケアしなかったから7年でぼろぼろになってしまっていた。黒ずんでひび割れててしまった。

白買うなよ、自分の性格考えな、と、7年前の私に突っ込みたい。

年末、待ちに待った夫の休暇、その初日、私はちゃむおいて一路大塚家具へ。

毎日毎日汚いソファーを眺めていたストレスが高じたのか、出産後初めてT市を出た開放感がほとばしったのか。
そして私は物欲を炸裂させ、予算を大幅にオーバーした買い物をしてしまったのだった。

いい本を読んだりおいしいものを食べたり、世の中には楽しいことはたくさんあるけれど、買い物ももちろんその中のひとつだと思う。

快楽が伴うから、そりゃ依存する人もいる。

1月4日に新しいソファーは我が家へやってきて、私はそこで授乳したり、TVを見たり、昼寝をしたりしながら、幸せな買い物ができた喜びをかみしめているのだった。





ちなみに、今度は濃茶の革にしました。

あ、相変わらずコーヒーテーブルは買ってません。
懐かしいちゃぶ台を使ってます。

あけましておめでとうございます。

さて、本年一発目。
お題は「市民活動」

私の実家は愛知県、夫の実家は埼玉県、私たちは大阪に住み着いて、近所には親兄弟など頼れる人はおりません。
子どもが生まれるまでは、実家から遠いことはメリットがデメリットを完全に凌駕していたと思います。30台の基本的に健康な大人が2人で生活をしていたのです。知恵や体力といった生活エネルギーに満ち満ちた世代ですから、困った時に誰かに頼ることを考える必要はなかったのです。
近所づきあいもゼロです。文字通りのゼロ。マンションの隣の人の名前はおろか、顔もあやふや。町内会も回覧板もないし、たまの消防訓練も、たいていは仕事で出られないですから。


そして子どもが生まれました。


まず、親に頼りました。出産前後は親が大阪に来てくれました。
退院後はすぐ帰ってもらいましたが、その1ヶ月後、これの前の前の記事に詳しくあるように、急な体の不調を抱えた私は、自分の親に頼りました。
同じ病気でも自分ひとりなら何とかできますが、赤ちゃんがいることでとたんに私は動きが取れなくなりました。

社会的にもっとも強い立場から、弱い立場に変わったような感覚です。

「今までは近所に親がいないことも、知り合いがいないことも困らなかったけれども、これからは困る。
自分が急病にかかったとき、事故にあったとき、誰か身近に助けてくれる人が欲しい」と思い至りました。

そこで、子育てサポートセンターの門をたたくこととなったのです。

サポートセンターでは、子育てのサポーターを必要としている市民に、サポート(=子どもを預かってくれる)をしてくれる有償ボランティアさんを紹介してくれます。
私の住むT市では、電話相談→説明会参加→個別面談→講習会参加→マッチング(電話連絡)→打ち合わせ面談→サポート開始、という流れでスタートです。結構きっちりしているでしょ。サポートセンターには役所の非常勤スタッフが4人おり、細かくコーディネートしてくれているのです。でもこれは市民活動、あくまでも自主的な活動の手助けであって、おんぶに抱っこはしてくれません。マッチング以降はすべて市民が自主的に行動し、役所には報告、必要時は相談するというシステムなのです。

私は歩いて10分もかからない隣町に住む、Aさん(推定60歳、5人の孫がいる女性)を紹介してもらいました。

年末に打ち合わせ面談まで終わりました。菓子折り持って行きました。


私、実家が遠いんです。この町に知り合いがいないんです。もしもの時に、頼りになる人が近所にいて欲しいのです。でも、もしもの時には急に頼れないから、もしもじゃない時にも時々会って欲しいのです。慣れるまでちゃむだけでなく私もセットでお願いしたいのです。2人で寂しくしているので、お散歩がてら遊びに来てもいいですか?


いやぁ、緊張したなあ。
汗かいた。


ボランティアを依頼する側は初めてで、というか、こういう関係を結ぶのが初めてで。


当分緊張してしまうと思うけど、フェイドアウトしないように、正月明けに早速連絡をしようと思っています。
がんばれ!私。


「市民活動」
仕事人ではない私が、T市の市民として、家族以外の人と触れ合う活動のこと。
これから広がりを見せていく予定。
選択を繰り返しながら生きていくわけです。

それは明確な意思であることも、限りなく無意識に近い場合もあります。
後者の場合でも選んだことにかわりありません。

「あなたが選んだことです」
これ以上ないくらいに厳しい叱責です。

「私が選んだことです」
これ以上にないくらい、自らを勇気付ける言葉にもなります。

最近立て続けに、医師会がらみの2つのアンケートに答えました。
女医として、勤務医としての現状について問われるようなアンケート。
さらさらっと答えればそれまでですが、まじめに考えてしまいました。

正直、世の中、こんなに医者が足りないといわれているのに、今現在のんびり育休をとり、相当恵まれた職場であるのにもかかわらず、フルタイム復帰は当分しないと決めている自分に罪悪感を覚えました。

でもそれは自分で決めたことだから、罪悪感やら寂しさやら不安やらとともに引き受けないといけないのです。



≪  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  ≫
HOME
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新TB
プロフィール
HN:
ニャム
性別:
女性
職業:
とある専門職
趣味:
読書とブログ
自己紹介:
なるべく前向きな人生を探ります。
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]