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裏日記
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単純性血管腫の初回レーザー治療を受けてきました。

血管腫について知りたい方はまずはこちらをご参考に。
形成外科学会のHPです。

http://www.jsprs.or.jp/sikkan/3-6/3-6-7.htm

すごくきれいにまとまっていると思うのだけど、これを読むと早く治療したくなっちゃうよね。
「早ければ早いほど治療回数も少なく、治療効果も高い」
って書いてあるからね。

いろいろ調べると、そう単純な話でもないのです。

ネット時代、英語論文まで読めちゃうからね。
相当量の情報が家庭で得られます。
でも情報が増えると、混乱しちゃう。私も一応医者の端くれなんだけど、それでも混乱して先生に質問したもの。

だからやっぱり、形成外科学会の出してる上記のHPのまとめが、情報提供の仕方としては親切なんだろうな、と思います。


インフォームドコンセントって難しいよね。情報量が多けりゃいいもんじゃないし、正確さを求めすぎると、わけが分からん内容になっちゃうし。


そうそう、今回のことで改めて思ったのが、学会には権威と責任があるということ。
「日本〇〇学会が言ってるんだから、スタンダードな考えに違いない」って思っちゃうもん。


学会が先走ったり、偏った意見を提言しちゃあかんなぁ、と思うのでした。


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前回ちょっとシリアスな話を書いてしまったので、今日は息を抜いて自宅の構造化の話をします。

ちゃむちゃんはどうやらとても好奇心が強い子みたいです。
新しいものを目ざとく見つけ、なんとかそこにたどり着きたいと、寝返りもできないうちから背中で這って進み、7ヶ月になった今は、ずりばいでまっしぐらです。

ちゃぶ台の上にあるものはぜひ見てみたいらしく、先日ペットボトルをはたき落して、お茶をかぶってキョトンとしていたので、私はぎょっとしました。

ちゃむちゃんが事故にあわないように構造化せねば…。

ここで言う構造化とは
「大人が見張っていなくても、赤ちゃんが”のびのび”と”安全”に過ごせるように、自宅に施した工夫」
のことです。

我が家の工夫を紹介します。

1:ザ・巨大ベビーゲート
うちはTVボードが大きくて、角がとがっていて危ないし、ちゃむには触ってほしくない機械類(コンポとかDVDとか)もごっそり入っているので、思い切ってベビーゲートで覆っちゃいました。
高さも80cmほどあるので、大人も多少不便ですが、安全には変えられないのでそこは我慢です。

2:ちゃぶ台よさようなら
我が家ではほとんどの食事をちゃぶ台でする習慣がありましたが、ちゃむが手を伸ばすようになったので危なくなってしまいました。しかも私の性質上(ぐうたら)および夫の性質上(遊び食べ)、食事が終わった後にすぐ食器を片付けることが難しいので、なるべくテーブルで食事をしよう、と努力しましたが、ちゃぶ台があるとついつい使いたくなるので、片付けちゃいました。

3:死角を減らせ!
私は食卓テーブルでパソコンを使うことが多いのですが、そこから部屋全体を見渡して、死角が極力少ないようにしました。
具体的には、4人がけのテーブルの一辺を壁(正確に言うとカウンター)にくっつけ、椅子は2脚だけを横に並べて使うようにしました。

4:便利な道具を使え!
家具の角を市販グッズで覆ったり、ゴミ箱はフタつきのものに代えたりしました。



子どもの安全のために、四六時中子どもを見張っているのは大変なことです。
そこで構造化で解決できやしないかと考えてみるわけです。

うまくいくと、しめしめ、お互い楽ができたわい、と自己満足に浸ります。

そうそう、おむつグッズをかごにまとめているのですが、そこにオムツかぶれの薬も入れてたんだけど、ちょうど誤嚥が怖いサイズで、ちゃむがかごを触るといつも取り上げていました。
ふと気づいて、薬は別の場所に保管したら、ちゃむが遊びだしても自由にさせておけるようになって、お互い幸せになりました。

こんな簡単な工夫なのに、気づくまでに一ヶ月ぐらいかかっちゃった。

構造化はコロンブスの卵だったりもする。
最近、脳死をめぐる問題がまたメディアをにぎわせている。

いろんな人の意見を耳にしたけれど、私が一番納得したのは、

「日本人の死生観はそれぞれだから、ルールを緩やかにして、提供したい人はそれが選べて、提供したくない人もそれが選べるのが一番じゃないかな」
と、どこかのDrが言っていたもの。


死生観がそれぞれ。


私は学生のころから「臓器提供意思表示カード」を持ち歩いていたけれど(当時は脳死状態の体は物体だと思っていたので)、結婚後、夫が納得していないことを知って、やぶって捨てた。


実は先日義父が亡くなった。
あまりにも急なことで、誰も心の準備なんてないし、誰も実感なんてわかない。

それでもぼーっとはさせてもらえなくて、役所に行って、葬儀社に電話して、次々とタスクをこなしさなければならない。

私は喪主である夫をサポートするために、彼の行動を見守っていた。

夫は、何度も義父の顔を見たり、何度も義父の体に触れて、亡くなった事を確認していた。

そして、通夜のときも、葬儀の最中も、「この辺に親父がいるような気がする」と、空を指していた。

普段は意識化なんてしないけど、私の夫にとっての死とは、魂が体から抜け出して、体は冷たくなっていくことなんだな、「あの世」はちゃんと存在して、亡くなった人は「この世」を見守っているんだな、ということが分かった。

臓器提供をされれば救われる命があること、それは重々承知の上で、死という最もプライベートで大切な機会は、残された家族のために使いたい。

私はそんな理由で、脳死状態になった時に臓器提供をするのは止めた。


人生長いですから、これから意見が変わることももちろんあるでしょう。

子ども時代の体験って思わぬ形で生活に入り込んでくるなーっと実感した話です。


うちの娘の寝顔が、あまりにもお地蔵さんにそっくりなので、ネットでお地蔵さんについて調べたりしていました。
お地蔵さんって何なのか、とか、おうちに飾るかわいいお地蔵さんはないかな、とか。

で、3000円ぐらいで買える焼き物のお地蔵さんを見つけて、夫に見せました。私はテンション高くって
「かわいいねぇ。ちゃむちゃんそっくりだねぇ。でも買わないねぇ。」
などと言っておったら、夫の反応がよろしくない。

そんな夫を無視してさらにかわいいお地蔵さんを探していると、5万円くらいで石を彫ってくれる、本格的な通販サイトを発見する私。

これがまた、うちのちゃむちゃんにそっくりなんだわ!
(これは名古屋弁の語尾の「だわ」 語感を強調をします。
このお地蔵さんに興味があれば→ http://www8.ocn.ne.jp/~jizou/shouhin.html )

で、またしても夫を呼びつける。

夫はいよいよ表情が曇り、
「何か怖くない?」
と。

私は日本人っぽい”なんとなくの宗教観”を持っていて、八百万の神に近い感覚で、厳かなものとか、古いものとか、壮大なものとか、大事にしているものに対して、敬ったり恐れたりする気持ちがあるので、そういうことかな、と思って
「そりゃあ、買ったら大事にしなきゃいけない感じはするよね」
と返事をすると、やっぱり反応がよろしくない。


「あ、思い出した!」

夫の思い出したエピソードは、夫が子どものころ、ご病気をされたお母さんのことをお地蔵さんにお祈りして、それをおばあさんに報告したら、
「悪いものが取り付く!」
と激しく叱責され、お払いされた、という辛いもの。
おばあさんは某宗教を信仰していたみたい。

子どもの純粋な気持ちで、愛する人のことを一生懸命お祈りしたのに、それを頭ごなしに否定されて辛かったろうし、さぞかし不安だったことでしょう。

おばあさんも悪気は全くなかっただろうから、誰をどう責めることもできない話。


そんなわけで、またしてもフタした夫の記憶をほじくりかえしてしまった私。
悪いことをしたな、と思うのですが、正体が分かれば気にならなくなるような気がするのです。
これを機にお地蔵さんが怖くなくなれば、トラウマワークになったのかな、なんて。

でも、生活に支障のないフタを外す必要は一切ナシ。またフタするもよし。





前回予告した、太古の人類に立ち返る話をいたします。
大した話じゃありませんよ!

前置きですが、私は動物学とか人類学とかにちょっと憧れがあって、NHKのドキュメントを見たり、そのての本を読んだりしてはかぶれてるんです。
医学って、ほんと、どうしようもなく実学で、学んだことが即臨床につながってて、それはそれでやりがいがあるんだけど、たまーに、「ああ、誰の役にも立たないようなことをしたい!」と思っちゃったりするのです。
私の将来の夢は、誰の役にも立たなさそうなことを勉強しに、もう一回大学生になることです(笑)

本題に入ります。


なんでも、年子が産めるようになったのは、ヒトが農耕を始めて定住生活を送るようになったからだそうです。
私たち人類のながーい歴史を考えると、農耕を始めたのもほんの1万年前、つい最近のことです。
それまでは何百万年も狩猟・採集生活をしていたわけです。

(ちなみに前書いたヤノマミ族は、現在も狩猟・採集生活をしております)

狩猟・採取生活では、母親は赤ちゃんをつねに体にぶら下げて、頻回授乳しながら移動して食べ物を探していました。そのためホルモンの関係で、乳離れする3歳ぐらいまでは排卵が起きなかったそうです。
なるほどおチビ2人連れての移動生活は大変だから、そうならないように体はできているのですね。

そんな昔に思いをはせると、娘が欲っするがままにおっぱいあげたらいいや、という気分になって参ります。


「布オムツの方がいい」と言われても、オムツをするようになったのもつい最近のことでしょ、と思えてきます。
多分、昔のヒトははだかんぼうの赤ちゃんを紐で体にくくりつけて、寒い時は上から毛皮をかぶっていたんじゃないかな。おしっこは下に落ちるから、意外とお尻はさらっとしてたんじゃないかな、なんて想像してみるわけです。

布オムツも紙オムツも大差なく思えてきます。


そうそう、最近は虫歯菌をうつさないよう、赤ちゃんにチュウしちゃだめ、という話もよく聞きますが、親が子どもにチュウしたいというのは本能的欲求のように思えます。昔のヒトもチュウチュウしていたでしょうよ。

ならば意味がある行為なのでは?

そこで私は、大事な常在菌やら、子どものうちにうつっといたほうがいい菌やらを母が娘に渡してるんじゃないかと仮説をたてました。虫歯菌はちょっと都合が悪いだけで。

うん、そうに違いない。
と、成功した種であるホモサピエンス(私のこと)は、自信満々に子どもにチュウをするわけです。


昔はよかった族のいう昔なんて、屁みたいに最近のこと、と思えば、少し子育てに余裕が持てるのでは、という提案でした。

子育てに限らず何か苦しいことがあったら、昔のヒトならどうしてたかな、と考えてみるのもいいかな。

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